イジメといじるについて

投稿日:2012年10月3日 更新日:

最近のニュースで滋賀県のいじめで自殺した問題がある。
私の若いころもありました。
体育館の裏へ呼び出されたり、トイレに閉じ込められたりされました。

動物として他を排斥して自分が生き残りたいという本能的なことと、
社会という共同生活に慣れていく段階の出来事と察する。
こんな時期の人間はとても扱いにくいが、逃げないで真正面から向き合うしかない。

イジメ=相手の人間の人格を否定する行為=利己行
いじる=相手の人間の人格を肯定する行為(社会関係を目覚めさせる)=利他行

現代は「関係性の病」と言うのはマルチン・ブ-バ-だ。
自分を表現するのに利己心が支配すると「イジメ」になり、
また受信する側も利己心で受け取ると「押し付け」に感じる。

これでは関係性が成立しません。
何が不足しているかというと「感謝する心」「利他の心」だ。

もう20年も前のことだが、学校給食をみんなで食べる時に「いただきます」と唱和したら、
あるPTAの保護者から、
「私は給食代を払ってるので無料でいただいてませんから言わなく良い」
という苦情がありました。

みなさんは常識的にどう感じますか?
自然の恵みで生かされている人間存在に感謝を込めての「いただきます」だ。
現実のお金を出したとか、出さないとかの次元での「いただきます」ではない。

今、こんな人が増加してきているように思う。

一番大事なのは、こんな人に出会ったら自分はどう対応するかだ。
私は真正面に向き合って、人間はひとりで生きていないことを訴える行動をする。
押し付けといわれても「感謝する心」「利他の心」を訴える。

一番卑怯なのは自分に火の粉がかからないように「無関心」になることだ。
昔はおせっかいなおばちゃんや祭などの年中行事を仕切るおじさんがいて、
「喧嘩両成敗」というように精神的に未成熟な人と熟している人の関係性を調整したものだ。

まさに、おせっかいなおばさんやおじさんが若い子を「いじって」くれるんですね。
あくまでも社会に溶け込むために、他人で利害関係は直接ないからこそ聞く側も素直になれ、
若い子は自分のことと「思って」言ってくれてると受け取れるのである。

こんな共同体の仕組みがあった。

教育の徳目は「知育、体育、徳育」といわれ、「心、技、体」のバランスの取れた人財育成だ。
その根本は私たち人間の親は「自然である」ことをしっかり教えることだ。
欧米のように自然を征服するような発想では人間が溶け合い同化する一如の関係は出来ない。
日本の文化に茶道や、華道、武道があるが、自然と一体化し、主客が一如になる文化だ。

「すいません」「ごめんね」と相手を受け入れて会話が成り立つ文化だともいえる。
決して攻撃的で対立から考え、ディベートなど議論で自己主張する性質の人間ではない。

今こそ、人情が感覚的にわかる人間関係をつくるおじさん、
おせっかいなおばさんの仕組みが再構築される事が望まれる。

みなさんは人間関係うまくできてますか?

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