判断基準なんだろうか?

投稿日:2015年3月22日 更新日:

1.食堂でコップを落として割ってしまったので店員が片付けるのを待った。
2.右折車の車が渋滞してる横断歩道で信号が青だからゆっくり歩く。
3.行列ができてる飲食店で、食べ終わったのにゆっくり話し込む。

考え方はいろいろであるが、
割ったコップを片付けるのが店員の仕事とほったらかしにする。
青信号ならゆっくり歩くのは当然と悠々と歩く。
行列ができていても、自分はお金払ってるので気にせず会話を楽しむ。

私は小市民なのか、違和感を感じる。
コップを割ったら一応大きな破片を拾って片付けようとして店員さんを呼ぶ。
右折車が渋滞をしていたら早く渡ろうと駆け足になる。
行列のできてるお店では、傍目を気にして早く食べさっさと椅子を譲る。

どちらが正しいとか正しくないとか言いたいのではない。

社会は共同生活であるから「譲り合い」が大事だとしつけられた。
もう一つ「人様に迷惑かけるな」は、母の口癖だった。

前者の人と私と判断基準が違うようだ。
前者の人は「論理」を優先させてる人だ。
私は「社会通念、常識」仰々しき言うと「倫理」を少しだけ優先させてる。

生きていくには「論理」も大事だが、共同生活するには「倫理」も大事だ。
ところが、現代は「論理」の整合性が優先しているように感じる。
言い換えると「利己」優先だ。

損得、好き嫌いは利己心だ。
自我をとれというが、
自我が亡くなって自分はどう考えればいいのだということになる。
仏教では、どんな場面で、どう判断するかを地獄、極楽の説法で教える。

地獄は1メートル前に向き合って人が坐ってる。1メートル下に食べ物がある。
それを1メートルの箸でとって自分の口元に一番に入れるが、箸が長くてこぼれて食べられない。
だから全員がガリガリに痩せている。
極楽は之とは逆に、まず相手に何がほしいか聞いて、1メートル下の食べ物をとって、
向き合ってる相手の口に入れてあげる。
次に相手は私に1メートルしたから食べ物をとって私の口に運んでくれる。
だから全員が丸々太ってるのである。
私がどんな場面でも必ずできてるとは言い切れませんが、
「倫理」が「論理」より少し多いのが、世の中は円滑に行くと考えさせられる説法に違いない。

皆さんはいろんな場面で違和感感じたことありませんか?

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