私たちには親が二人いる。
一人は産みの親である。
それは大自然であり、宇宙である。
もう一人は育ての親である。
両親であり、恩師であり、友人であり、仲間であり、他の命すべてである。
春になると思い出すのは良寛の詩だ。
花無心招蝶 花無心にして蝶を招き
蝶無心尋花 蝶は無心にして花を尋ね
花開時蝶来 花開く時蝶来たり
蝶来時花開 蝶来たる時花開く
吾亦不知人 吾亦人を知らず
人亦不知吾 人亦吾を知らず
不知従帝則 知らず帝則に従う
帝則とは自然、宇宙の法則だ。
私たちは育ての親を選んで生まれてくるのかもしれない。
それは自分を磨くためだろう。
自分なりに考え行動できる思春期には育ての親が疎ましく思い感謝どころでない。
育ての親が子供を育てるのが当たり前とおもいこんでいる。
育ての親に不平不満を言いそうになったら、
産みの親に尋ねてみることだ。
良寛さんのこの詩を詠むと『我』をなくしているが傍観者ではない。
しっかり、帝則に従う主体的な自分がある。
我々には日常生活があるから、良寛さんのように世捨て人になって生活はできない。
せめて利他行を一番にし『我』を少なくする。〔小欲知足〕
言うは易し行うは難し、反省と感謝あるのみだ。
産みの親の法則に従い、育ての親に感謝し、心を磨いて少しは成長したいものだ。
みなさん産みの親の法則に従ってますか?