「好信楽」本居宣長

投稿日:2020年2月22日 更新日:

日本の国学者であり「古事記伝」32年かかって書いた人物だ。
伊勢の豪商の小津家に生まれたのは享保15年(1730年)
死んだのが寛政12年(1801年)だ。
江戸時代の当時は漢文(四書五経)を読み仏教を学ぶのが武士であり、
一般の大衆もそう感じていた。
ところが、漢意(からごころ)と仏教を真っ向から批判して、
日本にはもともと古意(いにしえこころ)がある。
それは、古事記や日本書紀、万葉集に見られると32年の歳月をかけて、
『古事記伝』を書くのである。
かみ(迦微)、かんながらと表現し、神と漢字で書くのはおかしい。
かみ=ごく微細なるものと考えていた。

宣長の基本的なモノの見方を表す言葉に、
「つながれば窮屈で不満も生じるが安心もある。
 自分という一つの「点」という自覚があればよい。」
「個」と「連結」の実在こそが宣長の姿勢だ。

宝暦7年(1757年)に宣長が仏教を学んでいるときに、
君は儒仏を批判してるんではないかと問われ、
「宇宙にあるところを行くとして好み信じ楽しまざるはなし」
「好信楽」は学ぶ志とばかりに好きだから読んでると返すのである。

この学ぶ姿勢を明治6年6月に南方熊楠が、
「宇宙万物は無尽なり、ただし人すでに心あり、
 心ある以上は心の能うだけ楽しみを宇宙よりとる。
 宇宙の幾分を化して、おのれの心の楽しみとす。
 これを智と称することと思う。」
宣長は日記を生まれた時から死ぬ時まで書き続けたから一徹ものである。

「好信楽」本居宣長皆さんは好信楽と宇宙からもらった心と身体100%使って楽しんでますか?

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