理想の人物や神仏を敬うのはいいことではあるが、
そんなものは頭の中にある空想だ。
「伝灯禄」巻九福州大安章を紹介する。
黄檗山で仏弟子になった福州大安(793~882年)が若い時に、
有名な百丈慧海和尚(748~814年)を訪ねる。
この世で一番理想的な人間「仏陀」とはどんな人間であったのか知ろうと、
百丈山まで出かけて行って和尚に「仏」とはと尋ねる。
百丈和尚は「なんと馬鹿な。お前さんは牛に騎って牛を求め歩いているじゃないか」と言われた。
この話の真意は
「自分の中に宝物がぎっしり詰まっているのを知らず、
国中のあちこちを歩いて宝物を探し求める金持ちの話(長者窮子)と同じだ」
我々凡夫は大安と同じことをしているのである。
この素晴らしい体と心を宇宙からもらっているのに一つも磨きをかけず、
本能心を満たすことに執着して、
自分の尊さを忘れて毎日何か良いことはないか探している。
性善説だ性悪説だと人間の断片を切り取って自分を決めつけ、
ひたすら他人と比べて愚痴と批判に明け暮れてる愚かな私だ。
お釈迦さんも人間だが、楽しく生きるために6年間の修業を終え、
あらゆる苦しみから解放されることに気づかれたのだ。
「幸せになるのはいっぱいモノがある事ではなく、
幸せを感じる心を作る事」というように、
自分の心に磨きをかけること。
少しでも利己心を抑え心を浄化することと稲森和夫さんは言う。
仕事を通じて利他行を貫徹することで結果利己心が抑えられるに違いない。
皆さんは磨いてますか自分を?