「習・破・離」こんな言葉を見つけた。習は今まで守と思っていたが、この習の方がしっくりくる。
何事も誰かに習わなければならない。生きることは師を見つけることでもあると同時に「学ぶ」ことだ。
先日サッカーの三浦知良の言葉に出会った。一流の選手の言葉には深みがあるし、現実の行動が裏付けている。
学ばない者は人のせいにする
自分に何が足りないかを考えないから。
学びつつある者は自分のせいにする。
自分に何が足りないか知ってるから。
学ぶことを知ってるものは誰のせいにもしない。
常に学び続ける人でありたい。
三浦知良
学ぶことはもちろんだが現実に生きるには自分の行動で何かが起こり、あるいは他人からの縁で仕方なく起こった出来事や、
今起こっている新型コロナウイルスのような感染症のような災難に逢った時、どう解決するかが問われてくるのである。
それには状況を理解し方向を決める知恵と勇気ある決断と行動がいる。必ず課題を解決するかどうかはわからないが生き続けなければならない。
冒頭に師を見つけることが大事といったが、人だけが師ではない。松下幸之助の「学ぶ心」を紹介する。
「学ぶ心」
自分一人の頭で考え、自分一人の知恵で生み出したと思っていても、本当はすべて他から教わったものである。
教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から、
そうした今までの数多くの学びのうえに立ってこその自分の考えである。自分の知恵なのである。
だから、良き考え、良き知恵を生み出す人は、同時にまた必ず良き学びの人であるといえよう。
学ぶ心さえあれば、万物すべて我が師である。
語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩の厳しい叱責、後輩の純情な忠言、つまりはこの広い宇宙、
この人間の長い歴史、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。
これらのすべてに学びたい。どんなことからも、どんな人からも、謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、
はじめて新しい知恵も生まれてくる。良き知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。
松下幸之助
学ぶことが生きる事であり、どんなことがあっても学ぶ心こそをもちつづけることが自分を生かすことでもある。
皆さんは学ぶ心どう創られましたか?