お釈迦さんが生まれて七歩歩いて行ったという言葉が「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安此」である。
バラモン教が支配的だった時代にお釈迦さんは「我」(人間ということ)はみんな尊く平等だとおっしゃるんですね。
当時にすればコペルニクスの地動説に似たようにひっくり返ってしまう発言だった。
三界とは欲界(五欲=食欲、財欲、性欲、睡眠。名誉欲)の中で生きる
色界(絵画、文学芸術に生きる意味を見出す)
無色界(物質を超えた精神の世界の哲学や思想に意味を見つける)
この三界は苦しいという。吾=これは釈迦自身の事で、まさにここに安んず。この現実の世界で生きていくのである。
では、どうして生きるかというと道元は「自未得度先度他」といって、他人を先に渡して自分は未だ渡ってない船頭である。
具体的には「利他行」をやれということだ。そうすれば句は楽へと転換していくのである。止まらないで他のために行動する。
そこに、安らぎの世界が得られる医というのである。
一休は「有漏路より無漏路に変える一休(ひとやすみ)雨降らば降れ、風吹かば吹け}といってるのである。
世の中に善だ悪だ、得だ損だというものがあるのではない。それは自分の心が分別してるだけだというのである。
皆さんはなんだかキツネにつままれたような感じしませんか?