「ペスト」カミュに読む。

投稿日:2020年7月24日 更新日:

最近、カミュの「ペスト」が読まれている。カミュ(1913~1960年)は第一次世界大戦、第二次世界大戦のさなかで育った。武力による侵略によって領土の奪い合いをしていた時代だ。国家も自由を標榜する資本主義社会と民主主義が十分育っていないヨーロッパで、経済的に交易を重視し植民地の略奪の時代でもあった。

1914年6月28日セルビア人にオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫婦が暗殺された。これがきっかけでドイツはロシアに宣戦布告、次いでフランスにも宣戦布告し、イギリスがドイツに宣戦布告する。連合国軍のロシア・フランス・イギリス側に日本・アメリカがついて勝利するのである。 中央同盟はドイツ、オーストリア=ハンガリー(三国同盟)にオスマントルコ、イタリアは加入しなかったがこの陣営を応援した。 ヨーロッパのバルカン半島を狙っての経済的な拡大から起こったのが第一次世界大戦だ。ドイツは潜水艦から27か国の船を狙い撃ちして海に沈めたので、連合国軍の大義名分が立って戦争という状態に突入したのである。 1919年ベルサイユ条約で、ドイツの植民地は取り上げられてしまう。当然この遺恨が残っているところに労働党からヒットラーが出てくる。

この間に日本は日韓併合をし、満州に侵略して満州国建設を建前に大東亜共栄圏構想を打ち出し、欧米列強と肩を並べようとしていた。
そこに、ヨーロッパから見て日本がおかしい動きをしていると、リットン調査団が派遣され検証されるようになったのは1933年であった。当然連合国に追い込まれてきて、1941年12月8日真珠湾攻撃をして、連合国軍に大義を与えてしまい、戦争になるのである。
ロシアとは不可侵条約を結んでいたにも関わらず、戦争末期にはロシアがこの条約を無視し中国を南下して日本軍を捕まえにきてシベリア送りにした。
日本は誠実に戦後の賠償金を払ってきて、数年前にロシアへの支払いを完済した。領土は戦勝国で四分割されるところだったが、それは免れ、北方領土が奪われることになった。

この小説「ペスト」は1947年の終戦から二年後にフランスで発刊されて、世界中に爆発的に売れた。当時は政治課題として、理想は社会主義、共産主義の実現だという潮流があった。ロシアではレーニンが1919年の第三インターで世界の労働者を集め、この思想は世界に通用すると考えた。またイタリアのムッソリーニからファッショ(ファシズム)が起こった。
フランスでは実存主義哲学のサルトルが「実存は本質に先立つ」と、どちらの政治体制も否定するような哲学観を標榜していたが、レーニンからスターリンの恐怖政治を支持するマルクス主義へ傾倒し、カミュとは絶交するのである。
カミュは暴力や殺戮を否定する「ためらう感性」を大切にしたと評される。

この小説の中でペストに対する重要な解決方法として、タル―という友人は「共感」(シンパシー)が大切だと答え、リュー医師は「人間であること」(実存主義的)が大切だと答えた。さらに神に対して、「聖者より敗北者のほうに連帯を感じる」と言い、神なき聖者だと神という観念的な創造者を否定している。天災で神が助けてくれることはないというのだ。
もう一つの不条理である戦争という人間が起こした人災もどうすることもできないが、共感と連帯で互いが支えあって乗り越えることはできる。
社会主義を実現させることは全体主義になって行き過ぎると正義は悪に変化すると言いたいのである。だから政治的な構想にも、与しないというのである。それは理性で考えたデカルト的な理性中心主義にすぎないというのである。カミュは自分自らの自己変革の中に見出し、共感と連帯で社会を構築する世界観を見つめていたのだろう。

また、新聞記者ランベールは個人の幸福を求めてオランの封鎖から逃げて恋人に会いに行こうとしたが、現実を見て、「僕はいきません。あなたたちと一緒に残ります」と事実を引き受けるのである。 神父パヌルーも神が救ってくれるという解釈でなく、神はこの天災をいかに乗り越えるかを試されているというように、自己を主体にした神の解釈に変化していくのである。
「誠実」に事実と向き合うことこそがペストの解決だといいたいのだろう。

さて現在のコロナウイルスで感染拡大を防ぐことと経済を活性化させることを同時に行おうと、世界各国が必死に、事業や労働者に保障のお金を出し、企業には融資をはじめ、自粛期間には賃金援助や、家賃援助をしている。さらに日本は「GO TO トラベル」で観光業の支援として、政府が旅行代の50%の資金援助し旅館や土産物を買ってもらう作戦を始めており、さらに8月末には「GO TO イート」と言って、飲食店の支援として飲食代の割引をして政府がその値引きの保証金を補填することも実行される。
ますます人が移動することになるのは間違いなしで、感染拡大は避けられない状況となるだろう。

カミュが考えたように、国民がこの天災を克服するのは共感と連帯という個々人の自覚をもっと高めることにあるに違いない。
国家の責任や地方自治の責任ばかりに目を向けて、依存するのでなく、自分から拡大感染をしないような行動をして、新しい生活を生み出し、仕事への取り組み方を考えるチャンスにすることを世界の人間に問いかけているのではないだろうか。
利己的な自由の行き過ぎの貪欲文明から、互いが助け合う互恵文明を樹立する利他的行動を磨き、心を高めることを教えているような気がする。
「奪い合えば足らぬ、与えあえば足りる」

カミュは1960年に交通事故で死んでしまったが、生きていたらどう言うだろう。

皆さんはカミュのメッセージ、どのように感じられますか?



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