マルクスは「資本論」において、必ず利潤を増やすことによって再生産できる。
単純生産では生産と原材料と働くことがイコールになるので、利潤を得なければ、経済が成長していかないというのである。
もっともな話であり「経済的モノサシ」である。
このモノサシは生産するときのものであり、17世紀以後、機械性工場ができ分業化が始まり、生産力は急激に伸びモノが豊かになったのも歴史的な事実である。
ところが、このモノサシですべてを計るとなると人間疎外が起こると結論付けているのである。
そこで、自己変革を起こさなければ、人間は機械のようになってしまい機械に使われることになる。
これでは本末転倒であるので、もう一つのモノサシとして「心のモノサシ」がいる。
このモノサシは経済とは全く逆の不経済のモノサシである。
それは自己利益のために分業したり、効率の良い基準で考えるのでなく他者利益が優先される行動だ。
言い換えると「利他行」を一番にすることであり、損得の得でなく、人間としての「徳」が身に付き、人間関係を良好にし、互いが助け合い励ましあえるような関係が構築されるのである。
昔は「村八分」と言って、みんな助け合って生きなければならず、利己的な人は仲間外れにするが、葬式と火事だけは助けてやるという江戸時代の秩序維持の村の掟である。
経済的にも貧しかった時代だから、助け合わないと田植えもできないのでできた掟である。
ところが、この習慣は日本人の建前と本音の文化を生んだともいえるのである。
なかなか本心を言わないのは衝突を避ける意味合いがあり、みんなの前では自分の意見を言わない。
戦後は欧米の民主主義の自由で平等や自己主張をすることを学び、年長者に対する敬意の念や後輩に対する面倒見の良さなどがなくなり、対等な関係で丁寧語や敬語もだんだんなくなり、年長者も尊敬するような言動がなくなった。
日本の奥ゆかしさや相手を立てる謙虚さが希薄になってきたのも事実だ。
「おもてなし」の心で世界中から注目を浴び、東京オリンピックを誘致した今の日本に謙虚な心はあるのか疑問だ。
今こそ「心の拡大再生産」の実行の時が来たのである。
コロナウイルスが世界中を席巻している中で、日本は感染者数が大変少なく死亡者も少ない。
それはマスクを常時かけ、手洗い、うがいをしているからだと言われている。
その心は飛沫を飛ばして他人にウイルスをまき散らさないようにという心使いからくるのである。
人間は矛盾した不完全なように作られている。
だから自分の中に経済のモノサシと心のモノサシの二つを以て、状況によって使いこなすことである。
よく言う一貫性とはどちらかのモノサシだけで意固地に通すことではなく、
一貫して人の心を大事にし、なお経済的なモノサシを使いこなすことである。
皆さんは心の拡大再生産の利他行を実行されていますか?