すばらしい宗教家Ⅱ
超宗派寺院ネットワーク『寺ネットサンガ』を運営されてる、中下大樹(なかしただいき)さんの『悲しむ力』という本を読んで感動したので紹介する。
人間の心とはモノの性質とは違い、
逆境を跳ね除け世の中に役立つ宗教家として活躍されてるすばらしい宗教家だ。
この本に語られてる彼の生い立ちにビックリした。
父親はやくざ、母親は『カタギ』と言えない職業で家事も子育ても放棄し、
『あんたなんか生むんじゃなかった』といわれた時の絶望感は今でも忘れられないそうだ。
数え切れないほど転校と施設にはいり、祖父母のところでも育ち新聞配達をしたりする貧乏生活だった。
ところが「おじさんの死」によって生きることと死ぬことについて感じた。
ある日学校から帰ってきてランドセルを置くと、天上からぶらぶらぶら下がっている死体を見た。
借金の保証人になったために自死(自殺)したと大人が話していたのが記憶にあるそうだ。
そこで彼は本気で『死』を考えた。
すべては死んでしまうのだ。
お金持ちも、貧乏人も、有名も、無名な人も、頭のいい人も悪い人も100%死んでしまうのだ。
このとき、彼は死について考えれば考えるほど生きる力がわいてきたそうだ。
自分の生い立ちや苦労を考えると『終わりのないように見える不安や苦しみにも終着駅がある。』
彼にとって『死』こそ苦しみからの解放だったことに気付いたのだ。
だからそれ以来苦しいことがあるたびに『死』を思うと開放感を感じたそうだ。
それは自殺願望ではなく、『いつでも死ねる』という最後の切り札のようなものだった。
『死』に取り付かれたからこそ僧侶になったのはごく自然だと言い放つ。
働きながら大学や大学院で宗教学を学んでいた。
そのときの教授でもあり住職だった先生に誘われ僧侶になったそうだ。
今は『いのち』をテーマに活躍されてる昭和50年生まれの37歳の僧侶だ。
彼が気付かされたエピソードを紹介する。
『幸せとはなんですか?』
50代の女性で車椅子にのり、足で携帯電話を使い食事は犬食いの末期がんの患者に、
『朝目がさめるだけで幸せなんです。』といわれ、
『私はね、朝起きて目が覚めて、ああ、まだ生きてると感じられること。
そして花の臭いをかぐことができること。カーテンをあけて、朝日を感じられること。
洋服を着替え、服に腕を通せること。それだけで十分幸せなの。』
私たちは日常生活の中で誰でも幸せを感じる力を持っている。
しかし自分の感情を蓋したままではその能力は発揮できないことに気付いと述懐する。
「わたしは自分の感情に気付かないフリすることで、辛い現実を生き抜いてきた子供でした。
貧乏なこと、家族の会話がないこと、誰も自分を必要としてくれないこと。
そうした状況を正面から受け止める力は幼い自分にはなかった。
だから自然に自分の感情に蓋するようになった」と!!
『祖父に竹刀で殴られてても痛みに耐えながら頭ではどこか冷静で、
「ああ、大樹君殴られてる」とまるで他人事のように眺めていた』と語る。
彼は『静かに、ゆっくり悲しむことで、優しくなれる。生きる力がわいてくる。』
こう結んでいるすばらしい宗教家だ。
みなさんはこんな宗教家ご存知ですか?