すばらしい宗教家
あるお坊さんが苦しみ悩む人に何ができるか?
自分はそれを救うことだ。
ではどんな行動することが救うことか考えられた。
今の医者は薬を与えるだけか、外科で切り落とす技術者だ。
(江戸時代の医者は東洋医学であったために医は仁術といって、心を治したものだ。)
宗教家の薬はまさに心を治すことで「悲嘆に苦しみ悩む人に寄り添う行動すること」だという。
『話す』ことにより、1)気持ちが落ち着く
2)考えがまとまり、整理がつく
3)生きる力と意味が湧く
「話す」=離すことだ。悩みや苦しみを話す、自分にこだわる執着を離すことだ。
ちっぽけな自分の自覚だ。(相手を許すことは自分を捨てることだ)
苦しみ悲嘆を引き起こす原因は7つある。
1)愛する家族や親戚、友人を喪失=死別、離別(失恋、裏切り、失踪)
2)身体的喪失=病気による衰退や身体の一部の喪失(子宮、乳房、頭髪など)
3)所有物の喪失=財産、居住、仕事、(リストラ)、ペットを失う。
4)環境の喪失=転勤、転居、転校などによる親しみなれた地域社会やふるさとなどとの別れ
5)役割の喪失=地位、役割(家庭内の役割、子供の自立、定年など)
6)自尊心の喪失=仕事の失敗から来る名誉、名声を剥奪、悪口、噂話
7)社会生活の安全と安心の喪失
私たちは健康が当たり前と考え、調子が悪いと変に思うのが一般的だ。
だから、病気も健康もあることがむしろ普通だと自覚する人が主体的に生きれる。
その自覚がない人にとっては苦しみや悲嘆の原因を除去しようと、
必死にあがき性急に解決しようと場当たり的な行動をする。
一番大事なのは、この7つの状況は誰でもやってくることで不思議でもなんでもない。
人間はひとりで生きれないからこのように寄り添う仲間がいる。
それが妻であったり友人や師匠である。
先日、西村先生と話していたら、面白いことをおっしゃられた。
『君、襌は自力で坐禅し修行して無になるから自力本願だというが、
師匠について考案のやり取りをしたり、座禅中は警策でたたかれ導かれる。
これは師匠を頼って無になる教えらから他力による他力本願だ』
こうおっしゃるのである。
人生は一瞬の出会いで決まると森信三先生がおっしゃってるように、
私も出会いで師匠による導きを得たが、寄り添う心と実践が足りない。
このお坊さんは苦しむ人に寄り添い相手を受容することを実践されるすばらしい宗教家だ。
みなさんはどんな宗教家と出会っていますか?