日本の人間観

投稿日:2012年1月29日 更新日:

日本の人間観
日本は聖徳太子の時代に出来た17条の憲法には『和をもって貴しとなす』を大事に受け継がれてきた。
平安期の弘法大師、空海は『三教指帰』(さんごうしいき)という書物では、
仏教、儒教、道教の三つの教えを説いている。

この基本的なミックスの文化が鎌倉の武家社会に受け継がれ、
室町時代には日本の着物文化や茶道、華道が体系化された。

その後の江戸時代という大平の世の中を築き上げた徳川幕府は、
俸禄を与える代わりに主君に対する忠義と厳しい恥を恐れる『世間』という対面を重んじ、
本の小さな罪も藩の恥と名誉を守らんために切腹や殉死が日常茶飯に行われた故に、
大変我慢強い国民性を生んだのである。

武士道は基本的には仏教、神道、儒教の三つが源泉だと新渡戸稲造先生は説く。
1)仏教はすべてを受容するストイックな性質で生に執着しない気質
2)神道は主君に対する忠、先祖への崇拝、親への孝による謙譲の気質
3)儒教は孔子や孟子が理想とした厳密な倫理的な教義を元来持っていた日本人気質

日本人の多くは無宗教と答える。
ある人は科学的論理性を尊び迷信性を排除する意味で無宗教といい。
ある人は複合的に絡まり、日常生活の中で常識化した行動になり気付かないで無宗教という。

明治の新渡戸稲造や内村鑑三は外人に日本の人間観を伝えるべく、
『武士道』を書き『代表的日本人』を本にした。
岡倉天心は「BOOK OF TEA」を書いた。

私はその中でも仏教的人間観が一番なじむ。
人間には六道〔地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天道〕をみとめて、
それに有頂天、金輪際という人間のキャラクターの幅を認めてるのだ。
人間の心はこの六道がぐるぐる回ってるという考え方だ。
実に面白く止まっていないのだ。

ところが西洋的なアイデンティティーは違う。
西洋的精神医学が入るので自立した立派な状態だけが人間で、
精神状態がおかしいと罪を犯しても人間ではなかったいうことになり裁けない。

仏教的な人間観は実に微細で的確だと思うし、
日本の村社会の掟の村八分というのは、
物事を100対0にしないであいまいだが、
いずれわかってくれるという受容に精神で寛大だと感じてる。

現実は世界ははっきりしたアイデンティティーがあるから対立し排除し合ってる。
日本人はあいまいだとか優柔不断といわれるが、
逆から見れば平和主義で寛容な精神構造になってるのではないだろうか。

皆さんは如何考えられますか?

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