分かち合いの経済学
工業化社会から情報化社会になり、
モノの豊かさから心の豊かさへというキャッチフレ-ズが一般社会で多いが、
モノにも心があるのにどうして切り離して考え、
ことさらに心が大事だと言ってモノを否定する風潮が私にはわからない。
そう考えてると出会うもので、
神野直彦先生の『分かち合いの経済学』は疑問に答えてくれる本だ。
先生によれば、1)人間は所有欲求を充足すると「豊かさ」を実感する。
2)人間は存在欲求を充足すると「幸福」を実感する。
これまでの右肩上がりの経済では「所有欲求」を満足させ、
「存在欲求」に目をつぶってきたとおっしゃる。
「存在欲求」とは人間関係から生まれる親とのふれあい、
愛するものとの触れあいで人間と人間が触れ合う、
『分かち合い』のうちに実感する「幸福感」であると断言される。
工業化社会の基準は機械化によるコストダウンによって、
より良い〔品質〕ものをより安く商品をつくることが善しとされた。
ところが、情報化社会(知識社会)の基準は基本が人間関係の『分かち合い』をし、
「幸福感」を実感することを一番と考える価値に転換することになった。
換言すれば、個々人が『所有欲求』より『存在欲求』を一番にすることだ。
当然、人財育成のあり方も根本的に違う。
従来の『盆栽型育成』から『栽培型育成』になる。
『盆栽型育成』=標準化し、反復訓練し強制的に組みこまれた能力育成。
『栽培型育成}=問題の所在を認知すると共に認知した問題を創造的に解決する能力育成。
工業化社会ではモノを所有する蓄積が美徳とされ、他人からも羨まれたが、
情報化社会では工業化社会の『存在欲求』を満たすことを目標とするのでなく、
『分かち合い』与え合うことで人間関係に幸福感を実感することを美徳とするのである。
先生は今までの社会は自然からも他人からも奪うことが
正当化された『強盗文化』と表現され、
これからの経済学は「分かち合い」の経済学で、
今までとは全く逆の「与え合い」で創造する文化だとおっしゃられる。
いい換えると自然や人間が作ったものや人間関係の「共生感動社会」の構築だ。
知識も気持ちも与え合い人間の智慧で解決する助け合いの社会への飛躍とも言える。
明治維新のように『散切り頭を叩いてみれば 文明開化の音がする』というように、
和服が洋服に変わり、士農工商という身分なく、
国民となりと国会が議論して政治をするようになった。
今、当時と同じぐらいの価値の大転換の時の真っ只中だ。
みなさんは未来の社会の価値に切り替えられてますか?