コマーシャル考

投稿日:2012年3月15日 更新日:

コマーシャル考
コラムニストの天野祐吉さんが書いていた記事の中に、
『チ性』について三つあると書かれていた。

CMの中でソフトバンクのSMAP(スマップ)がでてきて衣装をとっかえひっかえ歌うのは、
二つ折りスマートフォンがでただけのことだが「たかがそれだけのことですけど」
と自分を茶化してるところがいいというし知性を感じるし茶目っ気もあると評する。

それには『チ性』=「知性」「痴性」「稚性」
単に知性だけではCMにならないそうだ、
そこには馬鹿みたいに物事に執着する「痴性」と、
無邪気な好奇心や創造力を持った「稚性」が無ければ面白い表現が生まれないというのだ。

「たかがCMされどCMだ」

最近テレビが面白くないと感じるのはこんなCMの大流行のせいかも知れないが、
大人のスマートな「チ性」を感じさせる番組がない。
子役がもてはやされ、おばかキャラを等身大で映し出す。
渋くて無邪気で一本気な大人の男女が出てこない。

テレビのCMの作り手も視聴者も無意識の中で幼児がえりを望んで、
スピードの早い情報化社会〔経済〕と国民のためと言いながらポピュリズム〔大衆迎合〕の
政治の茶番劇にうんざりしているのではないだろうか?

本気で国のこと、仕事のこと、生活のことに立ち向かって、
真剣に行動する大人〔自分も含めて〕が居なくなったからCMもこうなってきたに違いない。

中国では人間に二つの説があると考える。

1)性善説=自律的で道徳規範で自ら律する。
2)性悪説=他律的で法律によって自らを束縛する。

先人はモノを豊かにし便利な世の中を創ってくれたが、
便利になればなるほど隣近所のお互いが必要なく、お金さえあれば利己心で生きれる。
不便はお互いが『助け合い』をし、人間関係を育成しないと生きれないので利他的心が
養われる。

私が生まれ育った戦後はモノがなく、助け合わないと生きれなかったのが事実だ。
今の若者はそんな体験が無いから、モノを貸し借りしたり、
中元や歳暮で日頃のお世話になったことを心込めて恩返しする行為が、
無意味な儀式に見えているのだ。

村社会も亡くなり世間体も気にしなくなった人々が世の中を一人ぼっちで寂しく生きてる。
身体で感じて反応で動くことは自分がない無知だと錯覚して、なんでも考えてから
動こうとする。

先日も面白い話を聞いた。
石油のストーブにポンプを使って入れるのを指示され、
『聞けば直ぐに解決する』のにやり方いろいろためし、解らないので、
インターネットで調べてる姿を見て唖然としたという。〔会話すれば良いのに!〕
身体で反応見て行動することや会話のキャッチボールができず、
なんでも言葉の意味をあれこれ考え受け止める頭になってるようだ。

コマーシャルが今の世の中を映してるように感じるのは私だけだろうか?

お互いが助け合い、与え合う世の中が求められる。

皆さんはCM見てどう感じます?

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