理想と現実のギャップは反省し行動へ

投稿日:2012年6月5日 更新日:

理想と現実のギャップは反省し行動へ
このブログではいつも心や志を高めることが大事と書いている。
理想である。
現実はそれを実行するには強い意志がいる。
だが、人間は神さまでも仏様でもないから悪いこと思ったり、してしまう事がある。

稲盛和夫さんのカレンダーの5日めには「反省ある毎日を送る」

「人生では、心を高めていこうとしても、言うは易し、行うは難しで、
 実践する事はけっして簡単でない。
 よほどの聖人君子でなければ、良い考え、良い行いを貫けるものではない。
 大事なことは、善きことを思い、善きことをしようと努めながらも、
 もし悪いことを思い、悪いことをしてしまったなら、謙虚に反省することだ。
 今日、自分がやったことを素直に反省し、明日からやり直そうと心に誓う。
 そんな反省の毎日を送ってこそ、私たちは仕事において失敗を回避できるだけでなく、
 人生において心を高めていくことができる。」

凡人の私たちにとって、
このやり直しの再挑戦のチャンスを与えられる稲盛さんの言葉には希望がある。
若き時は悪いこと思ったり、してしまったら、
くよくよ自分を責めて停滞してしまうことがあった。後悔だ。
心を前向きに切り替えれなく、反省が自虐的になり後悔になる。

すると真剣に取り組んでいた事が深刻になり、
行動がとまってしまい悩みが深くなり悩むことに時間が費やされる。
〔これはもったいない、時間はかぎりがある。
 日野原さんではないけど生きてるあいだしか時間は使えない〕

人間は不完全であるからこそ、
未来に時間が与えられたに違いない。
行動の双方向通行=意味を求め行動するだけでなく、行動するから意味が出てくるものである。

不完全であるという事は自分ひとりでは完成しないという事でもある。
事実=1.動いてる
   2.変化してる
   3.連関してる
仏教では、この事実は「縁」〔連関してる〕によって実現すると考え、
主観をいれず瞬時にとらえることを「如実知見」という。

科学は全体を細切れにし部分にして事実を研究する。
その細切れの部分を張り合わせ全体にしていくが、
接合部分が不自然となるので真実には近いが違うというのが仏教的見解だ。

理屈では説明しきれないと「経外別伝 不立文字」と一挙に飛躍したようだが、
科学と仏教的見解のハイブリッドな哲学が望まれる時代だ。

ハッチントンは「文明の衝突」で東洋的価値と西洋的価値が衝突してるといったが、
逆から言うと実は互いのよさを認め合い融合することを感じてるのだ。
私は頭でとらえると相対的になり、心でとらえると相補的になると感じる。

皆さんは如何感じられますか?

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