感性と理性・芳村思風流儀
「感性」=問い 「理性」=答える
何を問うか?
芳村先生は三つ問い続けろとおっしゃられる。
1〕「如何に在るべきか」
2〕「如何になすべきか」
3〕「如何になるべきか」
人生の時間軸の過去・現在・未来を問い続けることだろう。
「理性」には性質がある。
1〕「答え」を出さなければ前進できない。
2〕「答え」に縛られて、問いがないと成長は止まります。
3〕「感性」が問題を感じなければ、「理性」は働きません。
〔この3番が重要だ。感性と理性は光と影のような関係だ〔光濃ければ影濃し〕〕
「答え」に縛られると違う答えを排除しようとする。
対立が生まれる。説得しようとする。
「問い」や「問題」は与えられるものでなく、自分で感じ取るものだ。
私たちは過去や、今を否定しては未来が語れない。
どんなに苦しいことも、辛いことも成長していくためには必要だった。
自分の人生に起る良い事も悪いこともすべてに絶対肯定し体験してこそ、
真実が語れるのだと断言される。
病気にならないと病人の気持はわからない。
離婚したことのない人が、離婚の苦しさがわかりません。
病気や離婚はしないほうが良いが、
必ず生かすことができるときが来る。
自分仕事・人生に失敗はありません。
すべてが体験だ。
人生には失敗の人生はないと言い切り、
成長の連続だと締めくくられる。
芳村先生のように、自分に起りくるすべてを必然と受け取り、
起り来ることを「結果」ととらえ一喜一憂し心を騒がさないで、
起りくることを「原因」ととらえ智慧と行動で良い結果を出すようにすれば良いだけだ。
このように積極的な仕事・人生を創っていくからこそ主体的だ。
みなさんは起りくる事「結果」「原因」どちらにとらえますか?