一瞬に生死あり

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一瞬に生死あり
禅宗では『今・ここ・自己』ここにしか真実はないというのだ。
すなわち、今ブログ書いてるこの一瞬がすべてだ。

ど真剣に挑む以外ない。
ここに生死がある。自分の主体が在る。

気を抜いて惰性で書いたら面白くない。

さて、仏教は修行をするといって、
難行苦行をするものだと思い込んでるが、実は違う。

白隠禅師がいつもニコニコしてるので、
檀家の人が『あなたは悲しい事や怒りの感情はないのですか』とたずねた。

白隠禅師は『ある』と答えられたそうだ。

『悲しいときは悲しくなり、思うように行かないときは腹も立つが、
 私は一瞬に生きてるから、左から右を向いた次の瞬間には違う右の縁に飛び込んでるから、
 瞬時に次の場面に浸る。』前の感情に執着しないとう事なんだ。
よく自分を捨てろとか執着するなといわれるのはこのことだ。
自分なんか捨てれないが、目先の事に執着してとらわれて、頭の中がそこのとで一杯になる。
この執着を嫌うのが仏教で、執着しない人は修行なんかしなくて良いのだ。

さらに、白隠禅師のもとで坐禅をして悟りを開いた老婆の話は感情の問題を解く面白い話だ。
理性的な人が賢い人でクールな人と表現し無表情で、
感情を表に出さないのが悟ってる事だと、勘違いしてる人がいる。

その態度は感情を押さえ込んでるだけだから、
いつか鬱憤が爆発して自分で感情をコントロールできなくなる。

どんな話かというと、老婆の孫娘が死んで、大きな声で泣きじゃくっていたら、
『あんたは坐禅して悟りを開いたのに何の役にも立たないね』と在家の女性から言われて、
即座に『何を言うか!私の流す涙はお前さんの流す涙と違う!この涙は真珠の涙だ』

この真珠とは悲しく執着して泣いてるのでなく、
一瞬の出来事を洗い清める禅の涙を流してるのだ。
仏教にはいろんな宗派があるが、念仏なら念仏の涙である。

その場が悲しければ悲しむのが人間の感情だし生きてる人間の姿だ。
人間らしくて良いが、だらだらと執着して何日も引きずらない事が大事だと解くのだ。

禅宗の真理とは『今・ここ・自己』一瞬に生死ありだ。

お前は出来るのか?「執着を捨てること」と問われたら、
若いときから比べると瞬時とは行かないが時間は短くなったがまだまだ出来てない。

みなさんは江戸時代の禅宗の白隠禅師が伝えるものどう感じますか?

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