鏡の法則について

投稿日:2012年7月15日 更新日:

鏡の法則について
5~6年前だったと思う。
『鏡の法則』という本がよく読まれた。
私も読んでみた。
親に対して憎む、あるいは他人に対して憎む感情は人間ならある。
私は30数年母親から絶縁状を叩きつけられていて、正直尊敬できなかった。
しかし、『鏡の法則』を読んで、
自分が甘えていて母親に理想を押し付けていた事に気づかされた。

気付けば行動だ。
直接話すのは照れくさいので手紙にすることにした。
育ててもらった事に感謝、自分の未熟な感情の持ち方に謝罪し、心を込めて書いた。
もう一人大親友にも同じ感情を持っていたので手紙を書いた。

行動すれば必ず心は伝わるものだ。
友人はその後20年間あっていなかったのを、
親友の友が気遣い再会の場面をつくってくれた。
親友は和解の時が来ると涙を流し再会を喜んでくれた。

母親はそんなドラマの場面がなかったが、
認知症が進行して記憶がつながらなくなった。
何か自分の役目が終わったと安心したのか、
過去の嫌な記憶を消すかのようだった。

認知症がひどくなったのはその後すぐで、
数年前からは知人のケアーハウスで世話になってる。
今は「毎日悩みがないから長生きして迷惑かける」と喜んでいる。

「鏡」を重視するのは古くは老荘の道教だが、
禅宗では『私』が生まれる前の自分を『本来の面目』といい、
『私』という分別し欲望に染まった存在の前の自分を自覚することを教える。

この自分を再現するのはなかなか難しい。
『坐禅』の修行はこの存在になることなのだ。

われわれが『私』と思って時間を積み重ねて歴史をつくって、
人間として深みもでてくる自分。
それこそが仮の自分でほんとの自分ではないと否定するのが禅だ。
あくまでも自由に解放された心をつかみ今に生きることを良しとする。

禅語に『明鏡止水』というのがある。
私心のない私だ。

『映るとも月は思はず 映すとも水は思はぬ 広沢の池』

如実知見=私心なく素直に見れば見える事実だ。

みなさんは「鏡」どんな思い出ありますか?

-生き方
-