先天性(性格)×後天性(人格)=今の自分(元々持ってるものと学んだで体験したもの)
人間が生まれながらにもっているものは性格だ。
性格は人それぞれ違うが、後天的に両親や先生、友達の影響、
先人の教え、仕事や遊びなどでつくられるのが人格だ。
知ってるだけでは人格は形成できない。
それを身体で再生できるところまで体験を積まないと人格になりえない。
両親から何度も繰り返し教えられた。
『嘘をつかない』『他人に迷惑をかけない』『独り占めしないで分かち合う』
『お天とうさんが見てるから他人をだまさない』
という単純なことが、いつでもどこでもできることが人格陶冶されることだ。
これは知ってるだけではダメだ。
自分の性格に、この単純だが社会で共存し生きていくことができる技がなければ、
社会は住みにくいし、わがままが通らないのである。
(口先だけのフリでの処世術はダメ)
最近、うつ病がはやっている。
実は物質が豊かになって、二つのことが体験されてない人がかかる病気だ。
1)貧困で明日食べるご飯を自分が調達したり、働いて稼ぐことを体験しない人
2)小さい時から肯定されて生きてきて、それなりに努力はするが怒鳴られたり、叱られて育ってない人
基本的にこの二つの条件の人が自分の意志がとおらないため悩むのである。
そして自分から傷つくことを恐れて他人とのコミュニケーションを断って、
自分の存在を消す事によって自分の意志を通す行為に出るのである。
なんと子供じみたと思うが本人は実に真剣であり、
この苦しみから解放されたいと、もがいているのである。
(われわれの時代は非行として、反社会的な行為をすることで発散してた)
今の若者は自分の内面を否定することで自分の意志を通そうとする。(精神が弱い)
人格ができてない状態だ。
ところが本人だけが悪いとは言えない、社会ではこの人格を作る場所がないのである。
私はお寺に行って説法を聞いたり、禅の話しを聞いて心のあり方を導いてもらった。
人間とは水のようなもので、悪用する事も考えるが善用する事も考える。
柔道の加納治五郎は『精力善用』『自他共栄』を基本理念として、
柔術だったテクニックから、華道や茶道のような人生観や世界観までのものにしたのである。
自分の燃え滾る精力を善用するのが柔道で、
攻撃して相手を倒すことを学ぶのでなく、
受身から学び自分の安全を最優先に鍛える方法である。
性格×人格=人生幸福創造し自他共栄の人生観、世界観が持てるのである。
私利私欲から単純にモノを考える未熟な精神から、
熟した大人の考えになり行動できることが成長発展である。
今の自分を今よりもっと成長発展させ、高めていく事こそが努力の方向性であり、
成果をもたらす唯一の考え方だ。
さざれ石が岩をになるように、自らも変化し進化する軌道に乗せていくのである。
皆さんは今の自分をさらに成長させる軌道に乗せ、楽しんでますか?