「儒教の世界観」を学ぶとき

投稿日:2018年4月21日 更新日:

「儒教の世界観」を学ぶとき
日本の世界観は中国的でもないし、
朝鮮的でもなく神道をベースに易経始め、
四書五経という儒学と仏教特に禅を学び、独自に進化していった。

中国は諸子百家時代の儒教が形骸化してきた宗の時代に、
朱熹が朱子学を体系化する。
理気二元論の展開である。

近思録は幕末の薩摩藩でも学ばれた重要な朱子学入門書だ。
朱熹と呂祖謙がまとめた14章からなる書物だ。(詳しくは後日)

朱熹の「性即理」に反し「心則理」を説く
「伝習録」を著わしたのは、陽明学を唱えたのは、王陽明だ。
幕末の日本の儒学塾で多くの武士が学んだ。

明治になって、西洋により植民地化される脅威から、
漢籍より西洋の学問が学ばれるようになった。
日本のおもてなしの心や、茶道とか華道のような文化を生み出したのは、
儒学をベースに禅的思考が大きく寄与してることは間違いない。

今こそ、儒学の人間観や世界観を学び直す時が来たように感じる。

遺伝子の組み換えといった自然の基本構造まで立ち入った科学技術の進化は、
人間を含めた自然との調和が壊れていく危険性をはらんでいるのではないかと危惧する。

歴史を逆戻りはできないが、自然を変化させる技術によって社会を変革させる事と、
同時に、人間そのものが利己心を中心とした、物質の豊かさの戦いの世界観だけでなく、
互いが相補的に助け合う、精神の豊かさの人間形成を学ぶ事が重要になってきている。

アダムスミスは、「資本主義に倫理観がなければ暴走する」と言ってる。
言い換えると人間としての良識を磨く事だ。
具体的に学ぶべきは、江戸時代まで基本とされた朱子学や陽明学といった
儒学に違いない。

皆さんは儒学の世界観学ばれてますか?

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