恕とは自分を思いやる心

投稿日:2018年2月21日 更新日:

恕とは自分を思いやる心
孔子が子貢に問われて答えたのが「恕」である。
「子貢問うて曰く、一言にして以って終身これを行うべき者ありや。
子曰く、其れ恕か。己の欲せざる所、人に施す勿れ。」

意味=一言で生涯行うべきはなんですか?
それは思いやりだ。自分がされたら嫌な事は人にしない。

孔子が言いたかったのは思いやりとはお年寄りや子供、
弱者という他人にすることではない。
ましてや、自分を甘やかす事でもありません。
「恕」とは自分を励まし、自分を磨く事なんですね。

憲問十四に、
「子路、君子に問う。子曰く、己を修めて以って敬す。
曰く、斯くの如きのみか。曰く己を修めて以って人を安んず。
曰く、斯くの如きのみか。曰く、己を修めて以って百姓を安んず。
己を修めてもって百姓を安んずるは、暁・舜も其れ猶お諸れを病めり」

意味=子路が君子とはと問うた。
自分の修養に励む独立自尊の人だ。(自分に思いやる)
自分のためだけの人物ですか?
自分を励まし磨く事で周りの人を安らかにする人だ。
周りのためだけの人物ですか?
自分を励まし磨く事で万民を安らかにする人だ。
  これは聖王とたたえられた暁様や舜様たちでさえ苦労された点だよ!

己と言っても、単に自己中というのでなく、金銭中心、権力中心、暴力中心、色欲中心とは意味が違う。

己としっかり向き合い、自らを形成する自己中というより自己愛だ。(西洋のナルシズムとは違う。)

仏教では「自利利他」というように、
まず自分を自ら励まし磨く事が、
結果利他行ができるとさとしているのである

自分を離れてどこに主体性があるというのであろう。
しっかりと地に足つけていない自分はすべて傍観者の主体である。

「柳は緑花は紅」と現実がそこにある。
「大学」には「修身斉家治国平天下」こそが政治の要諦と記されている。
一番に己を励まし磨き、家を修め、国を修めれば天下は平和になる。

人間には夢・志がいる。
行動することが生きることだ。
想像力は「夢・志を作る力」(イメージ)
創造力は「夢・志を実現する力」(どうするかの智慧・方法)

皆さんは自分を思いやっていますか?

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