「母親の口癖」に思う

投稿日:2021年4月5日 更新日:

昭和20年代後半の私が幼稚園に行くまでは、少し悪いことをすると母親は「お父さんに言うよ」と言ったものだ。
戦争帰りの親父は怖かった。革のベルトで背中を叩かれたことが何度かある。
小学校に入ってからは、遊んで帰って親の言うこと聞かない時には、「学校の先生か警察に言うよ」と言った。
戦前の教育を受けた者は国家の言うことはすべて正しいと刷り込まれ、少しでも批判すると非国民と近所から言われた。

両親も社会の変化の中で誰が一番怖いかということを、身をもって知っていたのだ。
戦後日本にアメリカからマッカーサーが来て、日本は進駐軍の配下の元でアメリカの自由主義、民主主義教育を受け、日本の縦社会を徹底的に壊したが、戦前教育を受けた両親は身に染みているのでそう簡単には壊せない。
だから、ひたすら働いて生活を安定させることが当面の課題であり、お金を稼ぐ人が偉い人という経済人を育てようとした。
そのためには、高学歴を身につけ大会社に勤めることが子供への夢だった。

思春期になって、私の身体も大きくなり力もついてきたら両親は叱からなくなった。というより、叱れないぐらい私に知識がつき言い返すようになった。
さて、日本はアメリカの市場の自由さや活況さを目の当たりにして、どんどん技術革新を繰り返し、世界でも最高の品質の家電や車を作るようになった。
1980年代後半はジャパン・アズ・ナンバーワンと世界で第2位の経済大国になっていたのである。
日本の教育は社会人として役立つ技術よりも基礎教養的な教育だったため、具体的な役には立たず、どう生活の糧を得て自らの人生設計をするか分からなくなった。

母親の口癖は「公務員になれ」だった。それで友人は学校の先生になったが、出世を夢見ていたものの大会社は狭き門だった。
戦後の社会で公務員は給与が安いが安定していた。一方農業の百姓は「水飲み百姓」と言って、飢饉が来たら安定しない。
母親は着物を縫うのが上手いのでよく近所の人に頼まれていた。私にも「手に職をつけろ」と言った。「技術力を持て」という意味で言っていたのだろう。
社会は機械化がどんどん進んでいたので工場で働くか、営業職しかない。
親父に「どんな方針で子育てしてるんや」と聞くと「自由放任主義や」と答えた。自分で社会を泳げという意味だ。
自分で考えろということだが、社会のことも人間のことも全く分からない自分が考えようがないのも事実だ。
中学時代の友人に聞いて、これからはスポーツの時代だと言われて推薦された「オニツカタイガー」(現アシックス)に飛び込んで受験したが、最終の社長面接で落ちた。

さて、自分はもし子供に聞かれたらどう答えるだろう。両親と同じことをしてきたように感じる。
勉強して良い友達を作ることが大事で、そこから情報交換して自立の道を探すようにしてきただけだ。

父親から学んだことは「食えなかったら、24時間働くこと」だ。朝5時に起きて夜10時まで働いていた。そんな姿しか見ていない。
小さい時に趣味の川柳会に何度か連れて行ってもらった。
父親は還暦の時に自分の句集を出した。戦争のことがいっぱい書いてあった。
何も話さなかったが、戦地での望郷の思いや友の死についても書かれていた。

戦争を体験した両親は戦前を語ろうとしなかった。でも未来を創造することも語らなかった。
そこに、ほんとに苦労した人間の姿が感じられた。
母親は「馬鹿正直は馬鹿のうち」も口癖だった。
何でも話しなさいと教育しておいて、今度は、他人にはいろんな人がいるから騙されるなと言う。
疑ってかかれと教えるのだ。矛盾しているなといつも思っていた。
そんな母親は認知症で94才でなくなった。27日は月命日で、今も毎月欠かさず実家で西願寺の住職にお勤めしてもらっている。

皆さんは母親の口癖覚えていますか?

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