大阪石材社長ブログ

「私にはプライドはありません」

投稿日:2021年9月3日 更新日:

私が今の事業を始めたのは27歳の後半で、それまでの人生はとにかくお金が欲しい、人の上に立っていいカッコもしたい、立派な家も欲しい…と欲の塊で、早く実現したくて焦った心で仕事に向かっていた自分がいる。
一方で理想やプライドが高く、自分の仕事は世の中のためになっていると言い聞かせ、口先だけの理想論者だ。
しかし、剥き出しの欲が原動力で、理想はプライドとして社会的な体面を繕っていた弱いものだった。

事業を始めて、山の上の墓地に4寸×8寸の延べ石の3mを担いで据えていた時、今の自分の現実がずーっと続くと考えた途端に涙が溢れてきて、自分の芯が折れそうになった。
その時、10年間は今まで築いてきた人間関係の友人には会わないでおこうと決心した。みじめな姿を見せたくなかったのでしょう。学生時代のプライドだ。
そこで、今の現実に真剣に向き合おうとした時、社会の現実の厳しさを知りました。

京都の田辺で土地を借りて5日間チラシをまいて展示会を開催した時の話だが、当時は墓石をご購入頂いたら手付金を5万円頂き、残金は引き渡し後の支払いだった。
ある年配のお客さんが来て、「君らは旅役者やな。本社事務所見たらビルの一室で、どこの人かも解らないし、ここを引き上げたらドロンして逃げれるな」と信用していないとあからさまに言われた。

勿論「約束したことはどんなことがあっても守ります」と言う他ありませんでした。
少ない友人の中でそんなこと言われたことはなかったので、世間というのは「信用」が大事だと肝に命じましたが、心の中では「見下げられた。馬鹿にされた」と思って怒りの感情しかありませんでした。

世間がそう見ているなら、世間が信用する会社を作って見せようと思い、まだまだ安定なんかしないし場当たり的だったが、信用を得るためがむしゃらに施工品質、石材品質、販売品質を創ることを心がけ、作業服を着て朝は6時から夜は22時24時までと一心不乱に働きました。
もうプライドなんかありません。

少しずつ会社が大きくなってきた時に、集団には心棒がいると気づき、最初に夢のように描いてた理念を明文化し、自分の言動を自ら厳しくして、誠心誠意「世のため人の為」尽くそうと全力投球して、学び、実践してきました。
もちろん全国の石屋さんを北は北海道から南は沖縄まで見て回ったし、アメリカをはじめイタリア、ドイツ、オーストリアなどの石屋さんを飛び込みで訪問をして業界事情を聴きました。

先日、ある文章を読んでいて以下の言葉を発見しました。
「プライドは弱い人の逃げ道だ」
もし何かを成し遂げたければ(私の場合、動機は物欲的)、なりふり構わず行動すれば達成する。それも40歳までしっかり生きることだと書かれていた。
展示会でお客さんに信用していないと言われ、創業して10年過ぎで40歳近くまでは同級生にも会わず、一生懸命毎日コツコツ休みもないぐらい働きました。

論語に次のような言葉がある。
「教え有りて類(たぐい)なし」
意味=「人間は教育による違いはあるが、生まれつきの違いはない」
また、「性、相(あ)近し。習えば、相(あ)遠し」
意味=「人間は生まれた時は誰でも似たり寄ったり、そんなに大きな差はない。
   その後の習慣や学習の違いによって大きな差が出てくる。」
40歳までは崖っぷちに立って仕事していたが、今振り返るとエピソードがいっぱいある体験をして懐かしく思う。
京セラの稲盛塾長に出会って、利他行の大事さを徹底して教わった。
まだまだ自分に甘いが、後継に譲るまではどド真剣に基盤作りに専念する覚悟だ。
今、私にはプライドはありません。

皆さんはプライド大事にされていますか、捨ててますか?

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