「文武両道の人間形成」

投稿日:2021年9月14日 更新日:

江戸時代の武士は剣道と四書五経(シショゴキョウ)を学んだ。
身体の姿勢は背筋が伸び、物腰はふらつかずどっしりとしている。
現代で言えばサッカーで身体を鍛える。少し前は野球であった。
もちろんチームワークを磨くことにもなるが、基本は人間力だ。

言い換えると、知識ではなく相手を慮ったり、試合の中で相手の打ち込む未来の行動を察する勘所がいる。
江戸時代にはこの学びを坐禅とか書道だとか詩吟を吟じる中で、文学的素養や道徳観を身に付けたのだろう。
現代は、知育は大変盛んに行われているが、徳育という人間の背骨になる論語や易経や書経などの先哲を学ぶ機会がなく、西洋的なソクラテスやプラトンのギリシャ哲学、現代はアダム・スミスやリカード、マルクスなど、ニーチェやキェルケゴールと言った西洋の学者、アインシュタインや量子論の科学的なことを学ぶ。

西洋的に哲学とは理性だけで真理に近づき「無知の知」に目覚め理性こそ最高の能力だと、感覚や感性は否定的に扱われた。感性は「真理の悪しき証人」とまで言われ退けられた。
また身体に対しても「魂の牢獄」と考えられていた。理性万能主義時代だった。

昨今はサルトルをはじめヨーロッパの哲学者は実存哲学や現象学は感覚とか身体を大切にする哲学であり、感性の出番でもある。日本では芳村思風さんが「感性論哲学」を標榜されている。

私が大学を出て社会に出た時は軽薄な知識で、なお社会的に必要なスキルもなく、精神力も軟弱で信念もなかった。
社会的自我形成が解らず、自己否定するしかない状態だ。
現代の若者もまた同じような状況にあると察する。うつ病者や自殺者の数値が証明しているように感じる。
だから、もっと生きることが楽しく創造的な活動だと思う学びの場が社会に必要だと考えている。

道元は「正法眼蔵」で学びには二つあると言っている。
1.「心学道」あらゆる心の諸説を学ぶ。言い換えると先哲の生き様に学ぶのだ。
2.「身学道」現実に体当たりで身を持って学ぶことだ。

これ、言い換えると文武両道である。
また表現を変えれば「心身一如」の人間形成と言えるのである。
現代のように知育で理性を強調する学びでなく、人間として身体も心も一つになって学んでいく学的体系がいる。
小田切瑞穂先生によると今日の理性は収斂理性と言って虫眼鏡のように一点に集中する理性であり、他を排除する考えであるがゆえに個人主義という美名の元に利己主義者を生み出しているということだ。
また、理性のもう一つを発散理性と言って収斂の逆で電熱器のように与える(愛)理性を養わねばならないと主張されている。

軟弱な私は自分の命を懸けて、人生どう生きるかという難題に悶え苦しんでいて、20代後半に今まで学んだことを一切捨てる決意をして、今までの自分を殺してしまったのです。その後十数年近くかかったと思うが、自己肯定の主体的創造的な自己を見出し自分の足で立っている。
心身一如の自己を目指して人間形成の過程である。古希を越え、ますます未見の自己がどうなるかワクワク、ドキドキしながら楽しく仕事をさせてもらっている。

道元は「端坐参禅を正門とせり」(弁道話)と言って、第一に姿勢を正して端坐し、呼吸を調え、心を調え、それは「身から心へ」と進む道で、身体全体で行動し体得することだと言い切る。まさに「経外別伝 不立文字」を貫き通す姿勢だ。
理性だけでなく体得を一番にという心の在り方こそ現実的だ。

皆さんは文武両道の人間形成どう思われますか?

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