「親ガチャ」に思う

投稿日:2021年10月9日 更新日:

最近若者の間で流行っている言葉が「親ガチャ」という言葉だ。
「ガチャ」の意味はソーシャルゲームの用語で、一定額の課金によってランダムにアイテムなどを手に入れることができるシステムをさす。
要するに運次第を意味する。
どのような親の元に生まれてくるかで自分の人生が決まってしまうという意味で使用されているらしい。

現代の教育事情を考えると大学まで公立に通わせて1000万円かかり、私学だと倍の約2000万かかる。
両親は共稼ぎで子供のために働くが、期待が大き過ぎて「毒親」になる親も多い。
「毒親」=教育に投資するが将来の見返りを期待して子供にプレッシャーを与える。

「親ガチャ」を言っている子供は自己責任がなく、無責任に親や環境のせいにしているということになり、無気力な子供ということになる。
教育の根本は具体的な社会生活や教育費用という条件と同時に、人生は自分で切り拓くという独立自尊の精神を子供に授けることが重要なように感じる。自分で自分の肉体も精神も鍛えることだ。
自分の主人は自分なんだということをしっかり子供に伝える。

私が両親を尊敬するようになったのは35才過ぎてからだ。
両親には両親の生き方が一つの時代の制約の中だったが、精一杯生きてきたということははっきり分かった。
それまではすべて親のせいにして、精神的な自立が遅れていたのは事実だった。
親に理想という物差しを当て愚痴ばかり言って、自分を自分で磨こうとせず遊びに目を向けていた。

親には「高校までは公立に行け、大学は必要がない」と言われたが、どうしても行きたいと懇願した。
両親は「それなら自分でアルバイトをしていきなさい」と、家で寝させてくれてご飯と洗濯はしてくれたが、学費も交通費も自分で払った。
もちろん、夜5時からガソリンスタンドで働き、夜は宿直して稼いだ。
平日は家庭教師をして稼ぎ、当時のサラリーマンの2倍以上稼いだ。
そんな状況でも、ギターのバンドを組んだりして楽しんでいた。
しかしながら、大学での授業は真剣にやらなかったのが事実だ。
賢い友達を作って、ノートを借りてテストを受ける始末だ。

さて、今の日本の教育に一番必要なのは江戸時代の四書五経のような精神の柱を築く学びの場を作ってないことだ。
賢い人は自然に学びを深くするから、四書五経も読み、西洋のカントやデカルトも学ぶだろう。
しかし普通の人が学校を出て、そんなにも志がしっかりしていて、自分なりに進むべき道を自分の意思で決めているかと言えば疑問だ。

自分と自問自答することの大事さをどこかで学ばせないと、「親ガチャ」と言って無目的な単なる知識だけある志のない人間を造る。
西洋的な政治をまねて、教育費無料、住宅も無料などと環境整備することが大事だという意見もあり、決して悪いとは思わないが、やる気のない人に与えても宝の持ち腐れになる。
スウェーデンだったと思うが、20歳になったら政府が用意した部屋に入って、これからは君がこの福祉社会を持続するための納税者になりなさいと親から切り離す。
自立心の具体性だと思う。

本気でやろうとする人なら奨学金でも探し当てるし、自分で何とか切り拓く。
そこに自分の人生がある。
もちろん、親がまともでない、あるいは極貧で兄弟を養わなければならないとか特殊なハンデのある人は別だ。
昔の村社会は損なハンデのある人をみんなが助け合った良さもあったが、今はそれが束縛だと感じて個人主義へと走っている。
そんな閉鎖された掟から解放されたが、一人でどうすることもできなく「親ガチャ」と悟ったようなこと言う若者をしっかりさせることだ。

言い換えると、昔の村社会の互助制度でなく、スウェーデンのように社会全体で互助組織を創ることが重要だ。
「親ガチャ」に思う日本の社会の良さを新しい時代の中で再生することこそ日本が世界の中で尊敬される国になるだろう。

皆さんは「親ガチャ」は大人の責任だと思いませんか?

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