「喜び」はお金で買えますか?

投稿日:2021年10月10日 更新日:

この話はあくまでもアメリカでの統計であるのでご理解いただきたい。
年収が6万ドル(660万)を超えると幸福感の指標がお金ではなくなり、10万5千ドル(1,150万)を越えると他人の年収の高さと比較し、達成出来ない目標を持って手段であるお金を追い求めると分析され、アメリカの格差社会の経済優先を裏づけているような統計の紹介だ。

この調査で言いたいことは、お金より時間を大切にしてゆとりある生活をすることだ。
各人が一体時間をどのように使っているか分析しろというのだ。
動く時間ではなく、止まる時間(瞑想や音楽を聴くなど)を持って心豊かに暮らすことを勧めている。
時間は自分で創り出すものだという結論だった。

もちろん、時間を有効に使うことは誰でも知っている。
ところが、一番大事なのは「喜び」を求めることが人生の目的かどうかである。
江戸時代初期の儒学者である中江藤樹(なかえ とうじゅ)の言葉に「喜怒哀楽を出でず」とあるように、人間としてあらゆる体験はこの喜怒哀楽のすべてからは抜け出せないのだ。
何かに夢中になって持続するには「楽しく」なければならないし「ワクワクドキドキ」することが必須である。

屁理屈っぽいがもう一歩突っ込んで考えると、欧米的な考えの根底には自然や社会の中で自分が「喜び」を享受することが当然と考えるのが前提で主体(個人)が存在する。
ところが、日本人は社会や自然と共生して自分を存在させようとする主体(自他人)の存在である。
だから、外的条件を明確にすることを第一義とせず、むしろ自分の内面を調えることを大事にする。
それは「思い」を実現するという内からの情熱の主体(心)である。
それから外的な条件を考えるのであるが、それも人間にとって都合の良いようにしすぎると必ず害が出ることを知っているので、できるだけ自然や社会がいい塩梅にバランスよくなるよう「時中」と言って、中庸とか中道を見出す結論を求める。(喧嘩両成敗のように)
欧米のように自然を人間の「思い」による都合で変化させるのでなく、自分が変化して合わそうとする思考をとる。
ここが、大きく違うところである。
だからこそむやみに科学技術に猛進しないで躊躇するところがある。

いま世界は欧米が生んだ資本主義社会で自由主義だ。
生産力を上げることが「正しい」という前提で邁進する。
そして民主主義を標榜し自由を追求することが正しいとされている。
だが、現実は富を持つ者と持たない者の格差が広がっているのが事実だ。
自由放任でアダムスミスの言う公平な観察者の見えざる手が調和をもたらすのだろうか疑問だ。

科学的な意味合いでは欧米の考えが進んでいるが、日本のように内面を重視する考えとの調和するハイブリッドな哲学観が世界に必要ではないだろうか?

皆さんはハイブリッドな哲学観いかが思われるでしょうか?

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