「論語と算盤」は渋沢栄一のビジネス・処世の哲学であると知られている。
三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎とは基本的にビジネススタイルが違う。
社会にとって役に立つことを志しにしたのが渋沢で、灰皿の灰まで自分が稼いだと考えるのが岩崎だ。
隅田川の船中でビジネス観の大論争を繰り広げたとして知られている。
渋沢は晩年論語講義をしている中で、ビジネスにおいても人生においても大きく間違わなかったのは論語のおかげだと言い切る。
西洋の文明を取り入れ、大きく日本が変貌しようとする中で、大久保は暴漢に殺害され、渋沢も襲われる時代であった。
そんな中でしっかりとした信念をもって諸外国と肩を並べる国づくりを志した一人である。
現代の私たちに「今をより良くするビジネスとは何か、どういう生き方をするか」を歴史が問いかけているように思う。
ロシアのウクライナ侵攻で武力により多くの民間人を殺戮している世界の中で、自由と民主主義の秩序が破壊され、仕事も生き方についての秩序が狂ってきた。
そこで、改めて論語を読むと自分を客観化するモノサシとして使えることを再認識した。
単なる「論語読みの論語知らず」という実践のない観念の世界では無く現実に応用しるモノサシだ。
論語李氏第十六
「孔子いわく、善を見ては及ばざるがごとくし、不善を見ては湯を探るがごとくす。吾その人を見る、吾其の語を聞く。隠居して以てその志を求め、義を行いて以てその道を達す。吾その語を聞く、未だその人を見ざるなり。」
意味=良いことを見ては追いつかないかのようにそれに向かって努力し、
悪いことを見ては、熱い湯に手を入れたように急いで改める。
私はそのようにする人を見、またそういう言葉を聞いたことがある。
世に用いられないで、家にいても、初一念を追い求め、正義行って、
その道に達しようとする。私はそういう言葉を聞いたことがあるが、
まだそのような人物を見たことがない。
世の中に用いられない時には人間は横着するということを言っている。
直接誰かの役に立ってない時でも、交通信号を守るように善行を進化させる習慣がほしい。
大谷翔平のごみ拾いは無意識の習慣になっているんでしょう。
今彼はスター選手なので話題になっているが、引退後も同じ行動をしているか見てみたい。
これは他人事ではなく、自分が出来ているか出来ていないかというモノサシだ。
他人には理想を押しつけ批判するが自分には甘いのが人間の自己保存本能だ。
そんな性なので、無意識に行動する習慣を身につけるには努力がいる。
「努力」とは長時間やるとか、たくさん量をこなすとかいうことではない。
また、精神的に苦しく辛いことを克服するでもなく、「古いものを新しいものに置き換えること」を意味する。
現実は行動を習慣化して、善行が行えるか証明する以外ない。
皆さんはどんなモノサシでビジネス・人生を判断し行動されていますか?