大阪石材社長ブログ

「志」に思う

投稿日:2022年4月5日 更新日:

現在ロシアがウクライナを侵略し攻撃している戦争が起こっている。
この戦争の状況を世界中が報道し、SNSによる発信も行われ、多くの情報が世界中を駆け巡っている。
今まで生きてきてこんなに身近に戦争を感じたのは初めてだが日本にいる私の身の危険は感じない。
でもウクライナの人の現実は死ぬか生きるかで、隣国ポーランドに逃げている避難民は400万人とも言われている。
ミサイルによって家は粉々になり帰るところがないし、生活するにも仕事もない。
未来は全く想像できず、絶望だけが心をよぎる。
日本でも尖閣諸島問題などがあるし、台湾は香港のように中国に併合される可能性もある。

世界は西側の欧米を中心とした自由民主主義に対して、中国・ロシア・北朝鮮や態度を保留しているインドなどが専制政治だが経済は自由という新しい民主主義の価値観の中で同盟を組もうとしており、世界は米ソの冷戦崩壊から新しく東西対立が起こり二分されそうな勢いになってきている。

そんな中、日本人として自分の芯をしっかり持った世界に通じる人間でありたいと願うようになった。
それには「志」がいるのではないかと思ったが、なぜ今まで明確にしなかったのかを考えてみると日本の仏教文化が影響しているように感じる。
さらに詳しく言うと、以下の仏教の教えの二つが関係するように思う。
1.欲望を捨てよという教え(人間の持つ五欲(食欲・性欲・睡眠欲・財欲・名誉欲)を持つな
2.苦行を乗り越えてこそ悟りの世界があるという教え(苦を追えば苦が逃げる、楽を追えば楽が逃げる)
この相対的な諭しが前向きな「ありたい姿」を描く楽しみを奪っているように感じたのは私だけだろうか?
こんな常識を吹っ飛ばし、「志」を持つことが大事だ。

「志」は「志す」という動詞が名詞化したと書かれていて、「心指し」が語源とされている。
意味は三つある。
1.価値観や方向性を成し遂げること
2.相手を思う気持ち(志を無にする)
3.心ばかり(香典返し等での「ほんの気持ち」と言う意味)
「志」の漢字の上部の「士」とは進んで行く足の形を変形させたもので、その下に心を付けて「気持ち(心)の進み方」を表している。

「志」は相対的に競争相手を他人とか自分の弱さに対して持つものでなく、「なりたい自分を思い浮かべる」ことだ。
「なりたい自分」には三つの条件がいる。
1.原動力=自分が行う意味・意義があるもの
2.利他行=自分だけにとどまらず、周囲(組織・社会)が価値を感じる
3.覚悟 =「成し遂げるもの」を決めているもの(決断力)

さて、これからは自問自答だ。
もし、自分に上記の三つが決断できず迷ったり、踏ん切りがつかなくなっていたりすると、下記の自分になる。
1.原動力がない=自分の価値観がなく依存的行動をする
2.利他行がない=社会や周囲の為でなく、自分の為だけに行動する(私心あり)
3.覚悟がない=日々流されるように生きていて、場当たり的な行動を繰り返す

さて、自分と言う人間が勝手にできると思っていたが、環境や友を自ら良いものに変えていくことが必要だ。
「論語」李氏第十六にある次の文章を紹介する。
「孔子曰く、益者(えきしゃ)三友、損者(そんしゃ)三友、直(なお)きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞(たぶん)を友とするは益なり。・・・」
意味=「孔子はおっしゃいました。『益友が三種類、損友が三種類ある。素直で正直な人を友とし、誠実な人を友とし、知識の豊かな人を友とするのは有益である。』・・・」
まず友を選ばないと自分の人格ができないし、またそのためには生活環境や自然環境も選ばなければならない。

「孟母三遷(もうぼさんせん)」の教えというものがあるが、最初は寺の横で住んで心を磨き、街の中では経済観念を学び、学校の横では勉学を学ぶというように孟子の母は住む場所を変えて孟子の教育環境をつくったという話だ。
さらに「孟母断裁(もうぼだんき)」と言う教えもあり、孟子がある時勉強するのに疲れて途中でやめて帰ってきた時、母は今まで織っていた織物を割いて「中途半端にあきらめるな、織物にならないよ」と教えたのである。そこから孟子は猛勉強をしたという。

人間とは弱いもので本能に負けて怠けたいのである。
志を常に高く高く育てながら、「ありたい姿」も成長させていけば良いが、楽しくすることが長く続く秘訣だ。
最初の一歩は手が届くような目標でいい。
続けることが成就への近道だと自分に言い聞かすことも大事な自己暗示法だ。

皆さんの「志」は何ですか?一歩ずつ成長していますか?

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