近代文明はインターネットによる仮想空間を創造し、世界中で情報が瞬時に交換できるIT化が進んでいる。
Amazonに象徴されるインターネット上のプラットホームは、今や本屋さんではなくあらゆる商品を扱うネット通販と言う巨大な市場を作った。
世界中で情報が考えられないような量と速度で受発信され、公共機関はじめビジネスにおいてのDX(デジタルトランスフォーメーション)は欠かせないツールである。
AI(人工頭脳)が発達し、自動的に情報処理をする。
システムのアルゴリズムさえ変えれば、いろんな角度で情報を分類ピックアップできる。
現代はお金(資本)より、情報を誰よりも早く、個々人の内容を知り、必要に応じて検索できるアルゴリズムさえあれば戦略が組める時代だ。
Googleマップでは自分の家がリアルに映る時代で、プライバシーは本当にあるのか疑問になる。
さて、禅の言葉に「洗心」と言う言葉があるのだが、これは心を洗い流すということだ。
禅の意味は「脳を掃き清めること」で、起きたまま寝ている状態をつくることだ。
日常生活の中でこれをやってくれているのは「睡眠」だ。
ところが、人間は興奮して自律神経が立っていると、ついつい寝るのも忘れて没頭する。
これが何日も続くと脳の中に情報のゴミが溜まって気が変になる。
「病」は肉体の使い過ぎが原因だが、眠れないと「病気」になり、気が変になる。
病気の名前はいろいろある。
医者には適応障害、うつ病、躁鬱、てんかんなどと言われるのである。
言い換えると、自己への執着と妄想からくる自己保身の働きに自分が支配されてしまうのである。
だから禅が必要なんですね。
起きたまま寝ている状態をつくるんですが、基本はなんも考えずボーっとすることです。(誰でもできる)
要するに、外の情報をシャットダウンして、内に意識を向ける。自問自答する。
人間は不思議なもので自分を変えずに外の世界を変えようと意識を外に向け過ぎるんです。
逆に、内ばかり見て自分を自己否定しすぎるのも病気なんですよ。
禅では「而今」(にこん)と言って、「今ここ自己」にすることを教えます。
この意味は「今思っていること変える、今意識していることを変える」ことですが、これができたら未来を変えることができる。実に簡単!!
でも、自己に執着して「変えられない」のは一般的な我々凡人だ。
意識と思考と行動を変えたら未来は必ず変わるのは間違いないが、実行できるかが問われる。
何もすべて変えることはないのだ。一つでも変われば、全体が変わる。
朝起きる時間を決める。これだけでも全体が変わることは間違いないのが「縁」ですよ。
中村天風が、「心ひとつの置き所」と言っているのは「すべては自分の心から生じる」ということで、陽明学では「心即理」と言う。
人間は三毒と言って「貪瞋痴(とんじんち)」があり、これが原因で欲を自分のために使う小欲になるのが普通の人間だ。
貪=際限なく欲しがる。
瞋=自己中心的な心で怒る。(自分のルールが破られると怒る)
痴=原理原則。(道理を知らない)
ところが仏教は其れをひっくり返せというのである。
「転依」「転悟」と言って、自分のために使う欲、小欲をみんなの為(公人意識)の大欲に転換せよと言う。
これが、人生の幸福と成長と願いが成就する成功哲学だと迫ってくるのだ。
実に面白い迫り方にはお釈迦さんに『ありがとう』と感謝したい。
大欲の事を「志」と呼ぶ。
だから「托鉢」と言う行は貧乏人から布施を受けろというのである。
転換が目的だからである。
なぜ貧乏しているかと言えば自分の心が小欲に絡まれていることに気づかないからだ。
もらいなれている人は自分を変えようとはしないものだよな!!
受け身から能動的な心に転換する願いから!!!
与える意識を思い出させるのが托鉢なんだ。
与えるのも誰にでも与えるのではないです。優先順位がある。
心が転悟出来そうな人に与える。これを「菩薩行」と言う。
与え方を間違うと奪うことばかりの人間をつくってしまうからね。
お釈迦さんは人生を生きるのに「苦行無益」と言うのである。
「転依」「転悟」さえすれば、誰でも「楽行有益」で極楽な人生が送れるということを解いて回っているだけなんですね。
皆さんは禅のやっていることを難しく考えてませんか?