大阪石材社長ブログ

墓石の仕事に携わって知った「供養」の意味

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27、8歳の頃から墓石の仕事に携わって既に46年ぐらいになるが、創業当時は「自分のいのち」や「人生の目的・意味」を深く考えた行動が出来ていなかった自分がいた。

大学を出て、サラリーマンになったが会社は倒産。
仕方なく先輩と三人で学習塾でもしようと独立したが、10歳上のリーダー格の先輩が方向転換して家具の運輸倉庫業を始めた。
友人が家具屋さんをやっていたので仕事をくれたんだと思う。
もちろん貸倉庫を借りてする仕事なので、採算が合う訳なく将来に不安を感じ辞めることにした。
ところが、再就職のため職を探すも給与は安く、面接しても会社のメンバーとして長続きしないと決めつけられ内定をもらえないことが続いた。
団塊の世代生まれの私は競争の世代とも言われ、落伍した人には誰も目をかけてはくれませんでした。

そこで、恩師の小田切瑞穂先生に相談したら、「愛媛の大島石を全国に普及させたいという夢のある若者がいる。彼と一緒に事業をやりなさい。」と紹介され、全くの素人から今の仕事をスタートすることになった。
生活のために何か仕事をしなければならないし、先生が言うのだから間違いないだろうと他人まかせの決断だった。
当然、お墓を求め建立される人の気持ちなど分かる訳もなく、ただ仕事として昼夜を問わず働いた。
ところが、先祖の供養であれ、亡くなられた故人であれ、心から墓石に手を合わされ安堵と感謝されている姿を見る現実の中で、少しずつ「いのち」について考えるようになった。

どんな人でも二人の親がいる。そして先祖十代を遡れば2046人、二十代遡れば209万7150人、三十代遡れば21億4748万3646人が関わる「いのち」のリレーがなされた「かけがいのない存在」ということに気付かされた。
しかし、ただ「いのちを繋ぐ」と言う意味だけでなく、その時代を生きた人たちの「生きる意味」や「人生の目的」が遺伝子として刻まれ受け継がれているのも事実だ。
例えば、私の仕草の癖は親父とよく似ている。お爺さんと一緒だとかよく言われたものだ。

「いのち」と「心」を感じると同時に、自分の人生の使命や目的は「墓の仕事」であると感じるようになったのは五十歳を超えた頃からだ。
もちろんそれまでも今まで続けてこられたことに感謝もしていたし、仕事が何かを伝えているようにも感じてはいたが、この仕事は天職と思うようになったのはその頃からだ。

お墓は単に先祖や子孫の「いのちを繋ぐ」ものとしてだけでなく、お墓の前で「生きる意味」や「人生の目的」を自覚することを促していると感じるようになった。
受動的に考えがちな「いのち」でなく、大切なかけがえのない命を思い、道理がいかないと自分勝手に粗末な扱いを絶対しないと誓う「命の尊さ」に感謝する。
また、自分の人生の使命を自覚させ、能動的に「いのち」を育み、子孫へ少しでもより良く磨き上げてバトンを渡す決意と覚悟をする場所だと気付いた。
もちろん、毎日の暮らしに充実感と達成感を感じながら、決して消極的な心にならず、常に能動的にワクワク、ドキドキして生きる誓いの場所でもある。

昨今、家制度の崩壊とか家族から個族の時代となり人口の三割が単身者と言われており、単身者は樹木葬や搬送式の納骨堂に預けるという祀り方をされる傾向にあり、子供がいても迷惑をかけたくないという人も増えて、墓じまいが増え永代墓を好まれる傾向にある。
「自分一人の命」という見方をしての行動と思うが、どう祀るかは連綿と繋がれた「いのち」を単に繋ぐという意味だけでなく、「生きる意味」「人生の目的」を自覚し、能動的に「いのち」を謙虚に生き抜く覚悟を持ち、先人への感謝と謙虚さを持つことであると確信する。

皆さんは「供養」の意味どう思われますか?

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