大阪石材社長ブログ

「仏教は成功哲学」

投稿日:

人間は不完全な存在であり、自然や社会の事は全く知らずにこの世に生まれてくる。

両親を通して体験的に学び、義務教育で知識を学ぶが遊びの方が楽しく何かのきっかけがないと真剣に学ぼうとはしなかったのが私だ。
学校では必ず中間テストや期末テストがあってチェックされるから、仕方なく勉強したが一夜漬けではすぐに忘れてしまう。
思春期になるとどんな仕事をして生活し、これからどんな学びをすれば良いかとか今後の生き方に迷い悩む。
苦しくて現実から逃げたい気持ちもあるが、何か目標もって努力しようとする。

そんな時に仏教と出会った。
最初は現実逃避の場であったように思うが、お釈迦さんが言ったという言葉はいちいち腑に落ちる。
しかし理想論過ぎて、自己中心的な利己心で毎日を過ごしている自分には行動に転嫁することは難しかった。
「色即是空、空即是色」という一見矛盾していることを突き付けてくる。
言葉に振り回され、「苦」とは何もないことかどうなのかと悶々と考え続けて答えが出ない。
概念でなく、実践ではどうするかを学ぶと小乗仏教では「八正道」、大乗仏教では「六波羅蜜」を実践せよと言う。
これまた、どこまでやり続けたら良いのかとか、言葉の意味とかにこだわって腑に落ちず、行動にむらが出る。
それに、どうしても他の人と比べてしまって継続的にできない。

そんな時、イエローハットの鍵山さんの講演を聞いた。
「自分の事ばかり考えているうちは、悩みは尽きることはありません。ところが、いつも周囲の人や多くの人のことを考えている人には悩みというものはありません」
こんな言葉を聞いて、腑に落ちたんですね。
なぜ仏教が解らないかというのは自分の事ばかり考えているからだ。
もっと、「自分が奪う愛(エロス)=利己的なこと」でなく、「与える愛(アガペ)」の事を考えたら良いのだ。
なぜそれまでそう考えられなかったかというと、「自分自身も満足にモノや地位を持ってないのに人に与えるものはない」と決めつけていたからだ。

そうではなく、仏教では「無罪の七施」と言って、何も持っていなくても与えられるものがあると教えているのだ。
1.眼施(げんせ)=優しいまなざし
2.和顔施(わげんせ)=にこやかな顔
3.言辞施(ごんじせ)=優しい言葉
4.身施(しんせ)=身体でできること奉仕する
5.心施(しんせ)=他のために心配りする
6.床座施(しょうざせ)=席や場所を譲る
7.房舎施(ぼうじゃせ)=自分の家を提供する

与えることから発想する仏教の神髄に触れた時、これは「人生の成功哲学」だと感じた。
人間は元来利己的存在であり、自己保存・種の保存がインプットされている。
これをひっくり返すだけだと気づいた時、何か自分の中での苦からの解放が起こった気がする。
すなわち社会の中で共存共栄して発展進化していくベクトルを見い出せたような興奮があった。
まだまだ利己心を二番にすることが出来ていないが、日々自分に言い聞かせ行動習慣に高めていきたいと念じる次第だ。

皆さんは、「仏教は成功哲学」とお考えでしょうか?

-生き方
-