この世に誕生したが、世の中がどうして出来ているか全く分からず、生きることに迷い悩む。また、自分の身心の機能がどうなっているかも分からず、使い過ぎては病み、使わな過ぎては退化していくことだけは分かる。
無知で無明を実感する。
そこで、賢くなりたいと学び始めるが、単なる知識だけでは具体的な課題解決をするのは難しく、実際に体験を通じて学ぶ必要があることに気づく。
若い時は肉体的に成熟してくると内から湧いてくるのは五欲だ。
食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲を満たしたいと思うが、現実はなかなか手に入れるのは難しい。
「仏説比喩経」
舌を愛し、身体を養わない
財を愛し、施しをしない
色に乱れ、身を慎まない
名誉を愛し、徳を積まない
楽に溺れ、努力しない
欲を満たさんがために、人間は自堕落になっていくと諭される。若い時にはこんな葛藤に悶えてきたのも事実だ。古希も過ぎ、いろんな体験を積んできて感じるのは、自分は不完全であるという自覚だ。勿論、相手も不完全な人間だと感じ、煩悩具足の悪人に立脚する自分こそ、未来の成長、進化が実現する。
未熟な自分こそ悪人なんだと自覚すれば自ずと謙虚になれる。感謝ができる。
少しでも自分の方が優れているという自惚れを持ったら人間の心は狭くなる。
自分の方が優れていると思っている人は、相手が未熟だと見下すようになり、諍いを起こすが、自分はまだまだ未熟だと自覚して正義を振り回さない人は「怒らず、恐れず、悲しまず」諍うことはない。
「愚者になりて往生する」という法然さんの他力本願こそが誰でもできる易行であろう。我々凡人は仏教修行者ではなく、悟ることが目的ではない。日常を楽しくイキイキ生きられれば最高だ。しかし、本来持っている五欲を振り回して使っているのでなく、振り回されている。
まだまだ、愚者になりきれていない自分がいることが確かだ。
みなさんは自分を善者か愚者かどちらで生きておられますか?