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「日々是好日」を心に躾ける

投稿日:2023年2月3日 更新日:

「日々是好日」は中国唐時代の雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師の言葉である。

昔、雲門禅師が弟子たちに向かって、「過去のことは問わない。これから先の心境を述べよ」と言った。しかし弟子たちは満足な答えが返せなかった。そこで師匠は「日々是好日」と答える。
「毎日が好き(良き)日だ」という意味である。
雨の日もあり晴れの日もあるが比較しないで「今ここ自己」の一瞬を鋭く射貫く。雨が降ろうが、雪が降ろうが、晴れようが、苦しかろうが、悲しかろうが、つらかろうが、「今日は良き日だ」と人間の分別を挟まない心境になるのだ。
これを禅では「無分別知」という。右だ、左だ、真ん中だと分別しないことだ。言い換えれば、人生は一瞬一瞬の積み重ねであり、一瞬を全力で生きるという意味を含んでいる。
師匠の気魄が伝わり、過去の自分の姿勢を顧みて、今日一日、いや今日の午前中、いや一時間、いや一瞬、自分との約束守ろうと思う。その積み重ねが人生となる。一瞬に気を抜かぬことだと反省させられ、ど真剣に仕事。目の前の人、社会に向き合うことだ。

「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山 もとの姿は変わらざりけり」という山岡鉄舟の言葉を思い出した。
「人生心ひとつの置き所」という覚悟を感じるが、雲門師匠は一瞬の中に主体的自由自在を見い出し、とらわれない心になる実践そのものだ。
まさに、幸せは自分の外にあるのでなく、自分の心の内にあり、幸せと感じ、そうだと信じるから幸せなんだ。

みなさんは幸せは心が決めていると思いませんか?

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