大阪石材社長ブログ

「道について」

投稿日:2023年5月2日 更新日:

茶道、剣道、柔道、華道、仏道、儒道などという「道」とは何かというと、極めると免許がもらえるという意味ではなく、学習のシステムあるいはプロセスのことを言う。
商人なら商人道などとも表現されるプロセスを意味する。
具体的には「守、破、離」という段階的に学習するシステムのことを言う。
「守りつくして、破るとも、離(もと)を忘れるな」というように原理原則を覚えるのである。
「守」とは、型を覚えること、
「破」とは、型を自分にフィットさせること、
「離」とは、型に気持ちを込めることである。

中国では、礼儀と言って行うことでルールを守ることを意味するが、日本では礼節と言って「気持ちを込めて行うこと」で人格を磨くという意味がある。
「気持ち」と「感情」とは違う。

さて、茶道を大成させた千利休で堺の倉庫業の大商人の子であった。
庶民の文化からスタートする。
茶道の重要なことは、「型」という原理原則を繰り返しやることだ。
そこで人格が磨き上がってゆき、躙り口(にじりぐち)から武士は刀を置いて入り、みんな対等な関係の「和」ができる。
個人的なことから始まり、「和敬清寂」という言葉のように、江戸時代になって商人が互いを「敬」い、組織の茶道へ飛躍し、「和」を尊び人格を磨き商人仲間の交流の場となる。

茶道では①道具(お金を敬い)、②身体(食事を敬い)、③気持ち(行為、志を敬う)を大切にする。
言い換えると両の手で肘を足につけ手元に椀を寄せ拝見するのは道具を大事にする商人の気持ちだ。
道具を大事にする意味は表面的で、物質よりも茶の一服を味わう行為の様に人格を尊ぶように極まっていく。

茶会とは江戸時代の人間交際の最高の礼儀の道場だったのである。
「敬いの心」と「気持ちを込める行為」は「和」を産むのだ。
私も裏千家の業躰(ぎょうてい)さんに10年ほど弟子入りしましたが、茶道の原理原則を繰り返す中に静寂と和敬を感じいった記憶がある。

「道」という人格を磨く学習システムを、自ら体験し味わい日本文化の香りを感じてもらいたい。

みなさんは「道」ってどんな風に思われていましたか?

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