弊社の神戸支店のミーティングで「座右の銘」について語り合ったようだ。
そんなことを耳にして、デスクの上にあった昔の忘備録を読み返したのだが、そこに書かれていたのがこのブログのタイトルにある言葉であった。
私は大学を出て初めて勤めた会社を6ヵ月で退社したのだが、思い上がっての辞職で、再就職に挫折して中学の担任だった先生に相談した。
先生の実家が奈良の曽爾高原の麓の太良路(たろじ)という所にあったので、頭を冷やしに1週間ほど泊めてもらった。
先生のお父さんが曽爾の亀池の下に駐車場を持っていて、駐車代金の徴収に毎日麓の自宅から曽爾高原下まで山を登る。
それに随行して毎日山を登り隣の倶留尊山(くろそやま)へ登ったりしていた。
おじいさんは一切事情も聞かず、余計なことも言わなかったが、ある日ぽつりと言われた言葉を今でも鮮明に覚えている。
「ナッパ服(作業着)とモーニングの似合う男になれ」と言われたのだ。
23歳の時だった。
24歳に出会ったのは社会に出て2度目の会社のA社長の言葉だ。
「地球儀を手の平に乗せて世界の動きを自分で主体的に見ろ」
「人の集まるところで商いをしろ」
要するに、世界を自分で解釈しろという意味と、人がお金を運ぶんやということを教えてもらった。スケールが違うなという印象だった。
25歳に出会った理論物理学の恩師O先生からは「資本主義の奴隷になるな」と、喫茶店で怒られたことを鮮明に覚えている。
29歳の時には、慧能大観の「人間本来無一物、無一物なればこそ無尽蔵」という「自分の道は自分で切り拓け」ということを意味する言葉と出会った。
31歳には「理性には2つある」ということを学んだ。
収斂理性(虫眼鏡)これは奪う理性
発散理性(電熱器)これは与える理性(愛)
ものごとは与えることから始めて、手段は収斂理性を使えと順番を教わった。
28歳には事業を始めていて、お金儲けとまず人への愛を与えよという矛盾を抱えていた時に出会ったのは二宮尊徳の言葉だった。
「道徳なき経済は罪悪 経済なき道徳はたわごと」
単純にどっちもいると解釈して、我欲に走らず利他的行動をしようと考えるようになった。
みなさんは言葉や人、どんな時に出会って自分の背骨を造られましたか?