社会で一番小さな社会は家族でしょう。
家族が個々人で経営されていることは間違いない。
農業が中心の時代には家族全員に具体的な仕事の役割があり、おじいちゃんもおばあちゃんも子供もみんな家族のために働いて協力し合い支え合っていました。
私の家族は戦後から野菜や食べ物の卸売業を生業として、父は当時高かった大運搬車という自転車に一杯荷物を積んで、都会に運んでいた。小学生4年生の時に自転車を買ってもらったのだが、勿論、食べ物の配達の手伝いをさせられたのは言うまでもない。朝は学校に行く前に豆腐屋さんに行って豆腐や厚揚げを買ってくる。そして、学校から帰ったら、隣村の養鶏場に卵を買いに行くということをやってきた。
ところが、農家にしろ、父のような自営業がどんどん少なくなり、多くの人が生産工場や大型小売店(スーパー)という会社で働く社会になり、一般的に家族みんなで働くことはなくなった。父は会社で何をしているか分からないが、決まった時間に出て行って、働いて給与をもらってくる。そして、母は炊事洗濯をして、空いた時間は内職をして家計の手助けをするというのが昭和の大半の家庭がそうだった。子供は学校に行ってクラブ活動もあって忙しく、家族みんなでちゃぶ台で決まった時間に食事をすることがなくなっていった。
家庭のための仕事はなくなったが、個々人がみんな自分のために時間を使い、費用が掛かる。外に出て行って働かないとお金が入らないので、子供はアルバイトをして、お母さんも工場や近所のお店に手伝いに行き、家にいなくなった。少しでも稼ごうと働いて残業もして、そのお金で家買って、車買って、テレビを買うという時代になったのだ。
その裏側で、家庭や家族が崩壊していって個族になっていったのが昭和ではないだろうか?
家庭の経営も個々人の思いがみんな違って、主観がぶつかり、成人する年ぐらいに自立と称して一人住まいをするようになる。
平成になると今度は、働くなら良い会社、つぶれることがない給料の高い会社に勤めようと考える親が増え、教育ママ・教育パパになる。
子供の地獄の時代が始まったのである。
将来給与の高い会社へ入ることを夢見て、学力の高い高校や大学を目指し、子供は学校から帰ると塾に通い、夜の10時過ぎまで勉強し、親はパートに出て学費を稼ぎ、夫は生活の基礎を支えるため真面目にサラリーマンをすることを余儀なくされた。
家庭にしろ、会社の経営にしろ、求められるものは2つある。
1つ目は、人間性と経済のハイブリットを実現する経営戦略と人材育成、そして、2つ目はそのための学びの基本である「原理原則」を実行し、「信じあえる関係を創る」ことだ。
原理とは再現性があること、原則とは共通性があること(やったほうが得すること)である。
さて、現代の家庭の経営から考えると、昔のように生産の役割を共有することではなく、消費を楽しくすることの共有によって経営が成り立つ時代へと変貌してきた。
その為に夫婦共稼ぎで教育費以上の収入を得るように働くのである。
もちろん、その一方で社会の一員として社会性を身につけ、人格を高める意味で働く人がいるのも確かだ。
次に、日本の経営はどうなっているのか考えてみると、首相自らが資産のある個人のお金約2000兆(預金は900兆)を投資に回しなさいと、働かなくても配当や株の値上がりで儲かりますという宣伝をする始末だ。
昔、恩師の小田切先生に「君は資本主義の奴隷か」と言われたことを思い出す。
家庭の経営、事業の経営について今真剣に考える時期が来ているように感じる。
事業は世のためになる「志」を一番にする「志事」と考え、単にお金稼ぐ「仕事」で受け身になってはいけないと感じる。
自分の人格を切磋琢磨し、経済的にも自立して稼ぐものでありたい。それには他者に役立つ利他行優先することだ。
「令和」の時代こそ「和を以て尊し」の聖徳太子の志を現実化する「令」ではないかと感じる次第だ。
自分磨きと経済的基盤の確立のハイブリットな状況を創造するチャンスが来ている。
みなさんは家庭の経営、働く仕事(志事)の経営を如何に考えておられますか?