大阪石材社長ブログ

「川柳句集第二巻」を読む

投稿日:2024年1月27日 更新日:

1月27日は私の母親の亡くなった日で、浄土真宗西本願寺派の西願寺の若住職に来ていただいている。
いつものように読経をしていただき、次月は2月27日火曜日に来ていただくことを確認してお別れした。

実家の窓を開けて風を通していて、ふと本棚を見たら、父の川柳句集第二巻というのが出てきた。
還暦の時に句集を出して「子の寝顔明日も働く父にする」と書かれた手ぬぐいを土産にしたのを記憶している。
句集第二巻によると昭和51年8月8日と書かれていた。
その時の心境を「言の葉に出来ぬ嬉しさ知る瞼」と本当に嬉し涙を出したんだろう。近詠と書かれ3句先に「人生は2で割り切れぬこともたえ」という句があった。
妹の初産を喜び「初声に浴衣着せたい夏まつり」7月の11日に女の子が生まれた喜びだ。他にも句を詠むために旅行に行ったときの句や番傘川柳会の宿題句がたくさんあった。

私が小学校の頃、父に川柳会に連れて行ってもらったことを記憶している。
どんな句を詠んだか全く覚えてないが、俳句と違って季語がないので誰でも簡単に読めるのがいい。
父は祖母が亡くなった18歳の頃から友人の春浦さんに誘われて川柳を始めたと言っていた。晩年には俳画と同じように川柳に水彩画を描いて楽しんでいた。

この句集の最後は平成元年3月21日で金婚式だったらしく、夫婦生活50年の人生を懐かしく振り返っての句があった。
「笑いあり涙ありで50年」
「子の事で喧嘩したことが懐かしい」
「子も孫も達者幸せかみしめる」
金婚式に北海道旅行に行ったときの句が最後になっている。
「残雪もよし知床の夏の旅」
「金婚の二人晴れた摩周湖」
さぞかし澄んだ摩周湖が美しく、自分の人生の悪戦苦闘もまた楽しかったと父は嚙み締めたのであろう。この句を詠んでいて、私はまだまだ欲があり悪戦苦闘の中にいて自分が役立つならと奮闘しているようだ。

父との思い出で、大学時代酔っぱらって友達に連れて帰ってもらったことがあり、いつもは自由放任主義といってほとんど注意したり叱らなかったが、その時は本気で殴られ怒られた。
小言を言うのはいつも母の役だったが、父は強いし子供を思い正しいこと言っていると胸にこたえた。
川柳の句を詠むことで自分を客観的に見ていたに違いない。間違った道を歩かずに!

みなさんも両親の思い出に残ること一度振り返ってみませんか?

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