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「死を覚悟」道元禅師のエピソード

投稿日:2024年2月23日 更新日:

「気に入らぬ 風もあらんに 柳かな」
この句は江戸時代の博多の聖福寺の住職を務め「西の一休」といわれた仙厓義梵(せんがいぎぼん)和尚の句だ。

縁あって、滋賀の興福寺の元住職・元花園大学の学長の西村恵信和尚に頂いた掛け軸がある。掛け軸を見て思い出したのは仙厓和尚の死に際の言葉だ。
和尚が最期を迎えた時に、弟子たちはどんな言葉をおっしゃられるか聞き入っていた。
「死にともない」
弟子がもう一度聞き直しても「死にともない」であった。
本来は解説することではないが、仙厓和尚は「死ぬことを受け入れ」精いっぱい生きていたからこそ、日々「今ここ自己」ど真剣に生きる実践を伝えたのだと察する。

戦後生まれの私は戦争を知りません、生まれた時から少しずつ生活も良くなっていき、家電製品ができ、車も良くなって、どこにでも行けるように日本中道路網が整備されていった。
働けば何とかなるぐらいの感覚で生きてきたように感じる死生観しか持ち合わせていないのが事実だ。(反省)

「死の覚悟」については道元禅師のエピソードがあるので紹介する。
弟子-「仏教では、みな平等だと教えます。なのになぜ、成功する人と成功しない人がいるのですか?」
道元禅師-「成功する人は努力する。成功しない人は努力しない」
弟子-「人間はどうして努力する人と、努力しない人がいるのですか?」
道元禅師-「努力する人は志がある。努力しない人には志がない」
弟子-「どうして志ある人と、志ない人が出てくるのでしょうか?」
道元禅師-「志のある人は人間必ず死ぬということを自覚している。死を覚悟して今を生きて行こうとする。志のない人は、死の自覚がない。故に軽薄で、いい加減な生き方をしてしまう。」

私が最後の時は「生きたい」と後悔でわめくに違いない。今からでも遅くないから、ど真剣に命燃やすしかない。
色んな人が文字で残してくれた教えを生き様として自ら体験通じて学んでこそ本当の学問だと安岡正篤さんは言う。(納得)

みなさんは「死の覚悟」どうとらえますか?

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