大阪石材社長ブログ

「のこった、のこった」の日本文化

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相撲の行司さんが白熱する相撲の掛け声に使う言葉が「のこった、のこった」だ。
勝利者の強さに軍配を上げるのでなく、攻められながらも必死に頑張っている方を応援する言葉だ。
欧米では勝利者を称え、その努力を称賛するのが習わしだ。
今までこの行司の掛け声を無意識に受け入れて、何も疑問に思わず過ごしてきたのだが、今から1400と数十年遡った大和の時代にヒントがある。

当時は国という形ではなく、大和朝廷と呼んでいた時代で、第31代用明天皇、第32代崇峻(すしゅん)天皇、第33代推古天皇の3人は蘇我稲目の娘が母である。
言うなれば、蘇我氏の門閥が中心となり各地域の豪族が集まって政治が行われていた。蘇我氏の天下だった。
そんな中、日本の基礎をつくるべく現れたのが聖徳太子(天皇家の血筋)だ。
600年頃ですから、遣隋使(今の中国)として百済、高句麗などからも学び、豪族の連合国家を天皇中心の中央集権国家としてまとめ、603年に冠位十二階を制定する。

これは、世襲制を打破し、有能な人材を集めて国家運営するためにつくられた階層だ。
これが実に素晴らしいのは部下に対して「愛を以て」、上に対して「尊敬の念を持つ」ことである。
年功序列主義のメンバーシップでもなく、ジョブスキルだけの能力主義でもなく、人格主義の階層であり、斎場の人を大徳と名付け、濃い紫の着物を着させ、見ても解るように定めたのである。
最上から書くと「徳(紫)・仁(青)・礼(赤)信(黄)・義(白)・智(黒)」の六つの人格の階層の主軸に分け、それに大小に位を分け、十二となるのである。着物は大の人は濃く、小の人は薄く色の濃淡で分けた。

政治を行っていると意見の対立が出てくるのは必然だ。
そこで太子は憲法の第一条が「和を以て貴しとなす。」と始まるように、まず「和やかに調和して行うことを旨とせよ」とした。続いて、「この世の中に理想的な人格者というのは少ないので、とかく君子や父に従わなかったり、身近の人々で仲たがいを起こしたりするが、上司と下僚がにこやかに仲睦まじく論じ合えば、自ずから事は筋道にかない、どんなことでも成就するであろう。」と説いたのである。
欧米の憲法は権力を持つ人の罰則である戒律の律だが、太子の憲法は戒律の戒で、注意事項というのか上に立つ人ほど謙虚であれよという「和」の実践者たらんことが書かれている。

現代でも何か会社に不祥事があると「社長」が全責任をとって「私の不徳に致すところで申し訳ありません」と謝る。
まさに、人格教育ができていないと言わんばかりの責任の取り方だが、実際に仕事を通じて人格を磨き合っているかが問題だ。

この考え方が庶民文化に根付いたのは、近江商人の「三方よし」であろう。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」という和の精神を基本に、世の中が良くなることを求める商いの精神だ。
現在も伊藤忠商事の理念に「三方よし」が掲げられている。
相撲の精神も勝った人だけを褒めるのではなく、負けた人に敬意を払い、「和」(なごみ、調和)を大事にする聖徳太子の精神が掛け声に表現されている。

日本は古くは中国に儒教を学び、仏教伝来とともにインドからも学び、明治には近代国家の在り方をヨーロッパに学び、戦後はアメリカに学んできた。
時空を超えて世界のあらゆる根本哲理を理解し、日本古来の自然と調和する「和」の文化をさらに進化させ今日がある。

世界に誇れる日本文化を発信する時が来ているように感じる。

みなさんは「のこった、のこった」の文化、如何に感じられていますか?

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