毎月27日の命日には仏壇でお寺さんに読経してもらい供養している。
両親が仏壇を買って供養していたからであるが、義務感のようにやってきたが、
よくよく考えてみると義務でなく、供養できる権利をもらっていることに気づいた。
私は遺骨を供養する墓の仕事をするきっかけになったのも、地場産業の振興という社会的な経済性から始まったのですが、47年を超えてやらせていただいて感じるのは単なる供給者と消費者といった概念で、お客さんの困ってることを解決することが正しい供給者だというのが一般的な概念だ。
経済的に言えば、「より良いものをより安く」という行動を優先することになる。
同時に同業者は競合相手で顧客を奪い合うライバルと考えるのも一般的だ。
一般的なモノの売買がビジネスの基本と考えるのは私にはしっくりこなかったのも現実だ。
経営は全くやったことがなかったので、「盛和塾」に入って稲盛和夫さんに20数年学んだ。
「心を高め経営を伸ばそう」「利他行をやりなさい」「動機善私心なかりし」「フェアープレイの精神を貫く」
「人生仕事の結果=考え方×熱意×能力」と「「何が正しいか」と問い続ける。
言い換えれば人格を仕事通じて磨きなさいという心の教えばかりで、
どうしたら経営がうまくいくかの具体的話は「売上最大経費最小」「月次決算は10日以内にする」
「一対一の原則」「値決めが経営」こんなことだがやや抽象的だ。
墓の事業は労働集約的な仕事だから人手がかかる仕事だから、礼儀や作法といった人間力が大事だと考え、
「利他行一番」を常に基本仕事姿勢と言い続けてきた。人材育成の基本も「独立自尊」の人材を育て、
会社を辞めても、どこでも生き抜ける人間力を仕事を通じて身に着けてもらいたいと願ってきた。
よくよく考えるとこの仕事は打ち込めば打ち込むほど自主自律が実現し、
参られるお客さんも同じように自然と「利他行」が身につく仕事だと気づいた。
自主自律とは自分の命の運営を人頼みにしない、自分の命と運命の一切合切を自分が監督し、支配し、そして統御して運営する。
これが心を磨くことだ。自分で自分の心を育てる責任者なんだ。
墓の仕事は単にモノ売るだけでなく、真摯に自分を磨くことができることだと確信した。
事業には「哲学」がいると稲盛さんもよく言われる。
まさに、供養産業は自主自律の利他行であり、供養される人にとっても無意識に利他行が習慣となり身についていくのである。
日本の文化が抽象的に心を磨き自主自律の精神をはぐくむ形として伝えられた先人に感謝である。
皆さんは自主自律の利他行どんな形でやられていますか?
「供養産業は自主自律の利他行」
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