「消えないものを求めよう
消えないものを身につけよう
消えてゆく身だけれど
消えないものがある
それは愛
そして真心」
恩師小田切先生がよく話された「無門関」第1則にある僧が「犬にも仏性ありますか」と、趙州和尚(778から897年)に問う。「無」と答える。
さて、この意味ですが、「涅槃経」には如来蔵識と言って第九識で胎児のように胎中の宿しているという。
「一切衆生悉く仏性あり」と書かれている。白隠禅師の坐禅和讃には「衆生本来仏なり」と書かれてもいる。
仏教では人間の情報機関から意識ができるのを以下のように「眼聞鼻舌身意」と言うのを顕在意識という。
その奥にある七識を末那識と言い八識を阿頼耶識と言い、今は潜在意識と言ってさらに奥にあるのが、第九識を如来蔵識と言って、仏教では「仏性」「仏種性」という。
この公案の「無」とは、僧に理屈で返したのでなくただいま「無」になれ分別するなと行為を指示したのだ。
禅問答の面白い返答で、理屈じゃないとも教えているのである。
一瞬一瞬「無」になることが即禅だ。
本心であり真心の如来蔵識に心が住んでいたら、「我もなく人もなければ大虚空ただ一体の姿なりけり」と故人が読まれているのを思い出す。澄み渡った何もない青空のような世界それが自分の世界だという。
「雲外蒼天」という言葉が頭をよぎった。背景が変わることのない世界こそ「無」だ。
坂村真民さんは消えないものの世界に住んで詩を読まれていたように感じる。
平成の初めに愛媛県のタンポポ堂にお邪魔して坂村真民さんに講演依頼をお願いしたが断られた思い出がある。
帰阪するときに、「念ずれば花ひらく」の色紙をいただいて、今も会社の事務所に飾っている。
慈愛に満ちたまなざしと毅然とした厳しさのある姿が目に浮かぶ。
皆さんは消えないもの求めていますか?
「消えないもの」坂村真民の詩
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