大阪石材社長ブログ

「マイナスをプラスにする心の姿勢」について

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自分と向き合うことでマイナスをプラスにする心の姿勢ができます。
禅とは心のことで、現実を100%受け入れる心の姿勢を自分で創ることです。

よく「善悪を超える」と表現されますが、超えるってどんな姿勢をとるかわかりづらい。現実に対する心の置き方が決まることだ。
現実を素直に100%受け入れ、損するとか嫌いとかいう感情を持たない心の姿勢を自分で創る。
極端に言うと「自分」はどうなってもいいと無心(こうしたいというイメージを持たないこと)を意味します。
損をしたり嫌いなこと、人間の本能心こそが私心であり、自己保存する大切な利己心というその場を逃げよう、自分に都合の良いように解釈を変えて得するように事実をすり替える。(嘘つく)
これが私心ですね。
逆から考えたら、現実に身を任せるという積極的な行動する心の姿勢です。
道元は「冷暖自知」と言って、冷たい暖かいは自分で知れと、現実に飛び込んで知れという意味です。自分にとってマイナスの損をしたり、嫌いなことに飛び込めというわけですね。すると、自然とマイナスがプラスになって、自分が成長すること間違いない。(これが体得)私たちは自分というものを持って生きないと現実には判断したり決断したりできません。
あえて、その心の姿勢の判断や決断の基準を一時的になくすことが重要だと道元は諭すのですね。
本能心は得すること、好きなことに自然と無意識に反応するようにできているから仕方ない。それでは成長しないし未来を開いていくこともできない。
生きがいや人間に与えられた創造力が働かなくなってしまい、消極意識に乗っ取られた命となる。
吉村 昭さんの小説「漂流」の中の主人公 長平は船が難破して水もなく草木も生えない無人島にたどり着き、あほう鳥しかいない岩礁の島で、雨水を蓄え、あほう鳥を割いて食べ、貝や海藻に魚でまず生きることを考え、仲間とともに生き抜くが、一人、また一人となくなり自分一人になり、幻覚のような症状も出だしたとき、薩摩の難破船の10数名がやってきて、中には自殺するような人も出る中で、どうしても生きたい故郷の土佐へ帰りたいと、難破船の木材が海岸に打ち上げられた木々を拾って船づくりを思いつき、みんなで数年かけてつぎはぎだらけの船を作る。その船に乗って無人島から脱出し、流人の島と言われた八丈島について江戸に帰ることができるというストーリーだ。
絶望した人は体が衰弱し生きる希望をなくし、病魔に襲われ次々死んでいく中で「船を造ろう」と未来を開き、難破船の木々が漂流したものを寄せ集めて、完成させていく現実に記録が残っている話を小説にしている。
マイナスをプラスにすることは未来を明るく照らし希望を持つ心の姿勢がいる。
今は過去の体験の中にとどまらず、今の今に損得、好き嫌いを入れず100%現実を受け入れ、未来を切り開く「今」を誰にも負けない努力をして、ど真剣に生きて命を輝かすのは自分だ。
実際に資料があった話で、小説といえ息遣いの感じ命とはと迫ってくるリアルな生きざまであり、マイナスをプラスにする心の姿勢だ。

皆さんはマイナスをプラスにする心の姿勢いかがなさっていますか?

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