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「ニッコロ・マキャベリの君主論」に思う

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日本人は協調性があるが主体性がないといわれ、個人主義的な自分の考えや価値を持つことが良いように社会的な教育が戦後向けられた。
要するに欧米のように個人が確立し、対立してもいいから議論しあって新しいものを創造する。
弁証法的な考え方が正しいという教育方針だったことは確かだ。
ほんとうにそうだろうか?
日本人は確かに島国根性とか言われ、村の仲間との協調といった意識が醸成されてきた歴史で狭い範囲だ。
確かに、戦後は資本主義陣営はとして、アメリカを中心にグローバルな展開になっていくプロセスをたどってきた。
そんな世界観の流れの中で日本流の「和を以て貴しとなす」では人種も文化も違う世界では通用しない。
だから英語が話せる人は世界へ飛び出していったが、大半の人間は「和を以て貴しとなす」とは反対の、個人主義へと舵を切らざるを得なく自己否定してきたように感じる。
日本の国を誇らしく思はない欧米有意の考え方になっていったように感じる。
ところが世界の人々は日本の文化にあこがれ、今や数千万人の旅行者が日本にあこがれ、茶道や華道、着物、祇園のお茶屋などの文化を体験し学びに来るのである。
言い換えると個人主義の自己責任という社会と法による社会制度に息苦しさを感じ、
日本の曖昧さの中にある互いを尊ぶ文化にあこがれと癒しを感じているのだと察する。
さて、「君主論」といえばリーダーなら誰しも読むが、詳しくは読んだことがなく、人間としての仁徳を大事にするリーダー論でなく権謀術数の技術論と思っていたが違った。
マキャベリは「人の運不運は時代に合わせて行動を吟味するか否かである」
まさに時流を選ぶこと、時流を創ることだというのである。
「人間はいかに生きるべきでなく、人の実際の生き方を見よ」という洞察がある。
経済的には世界中が貿易を盛んにすることで成り立っている時代であり、グローバル化が進んでいる。
これの意味するのは効率重視の生産体制の仕組み化であり、人種や文化を超えてできる生産体制だ。
古くはテーラーの管理システムであったが、今はマクドナルド方式で全世界相手の仕組化されている。
これは日本人の協調性や個人主義を超えてさらなる超人種・文化主義と言えるだろう。
今こそ、日本人は協調性や個人の自己責任主義超えた「自他不二」という、互いを尊敬しあう日本の文化を体得する時代だ。
まさに善も悪も知り尽くして「超善」を築くことだ。その下地は充分日本人にはあると確信する。
マキャベリも時代の流れを読み自分を変化させることだと気づいているのだ。
洋の東西を問わず歴史にもまれて読まれる本には真理を見抜く目があると感じる。
皆さんは時代に自らを変化させていますか?

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