「お裾分け」は恥の文化を形成し、独立自尊の人間力を養い助け合いの文化だ。

投稿日:2019年2月6日 更新日:

マンションに住んでいるんだが、意外とお隣さんに醤油を借りにいったりする事がある。
気前よく貸してくれて、お返しに何か気持ちだけのものを「お裾分け」といって菓子でも
つけて返す。
そう頻繁にはないが、近頃そんな事もなくなったと思っていたら、近所の78歳になるマダムが、自分の娘のように三女を可愛がってくれ、ケーキを焼いたりぜんざいを作ってくれる。

それが店頭で販売しても良いような出来で、品のある味と香りがする。
たぶん良質の食材を使ってると思っていたら、近鉄百貨店で仕入れているそうだ。
「お裾分け」はお互いさんの精神で、個人を主張するのなく、ご近所は家族のような
一体感がある。
実に居心地の良い文化が現代にもあると気分がよくなる。

さて、話題は変わるが、昨年の戦場カメラマン解放事件で議論されたのは「自己責任」だ。
もともと危ない事を承知で行ってるんだから、自己責任だとの論調が多くあった。
彼は記者会見で「記者としてと遠くで民間人の姿を見るのでなく、戦場下の中に入り民間人はどう扱われてるかを、体感して報道するのが記者の使命感でもある」と自己責任を
わかった上で語った。
でも、そこには功名心や記事の経済的な報酬にあったのではと邪推する人もいた。

日本文化には縄文時代から個人という概念はなく、社会が先にあった。
共に助け合う集団だ。
狩猟でとった獲物はみんなで平等に分かち合って分けるのが当然の世界だ。

「自己責任」は自分の人生を自分でデザインする欧米の社会の規範であり、個人がない日本文化では「恥ずかしい」という自己責任だ。
言い換えると「独立自尊」という人間力を高める意味が強く、寛容さと自己規制が働き、自分を高める意味合いが強い。

日本文化は強いものの味方でなく、弱いものの味方をする。
相撲の行司が言う「残った残った」は負けてる関取への応援である。
強きをくじく弱きを助ける事が立派だというのである。

最近は違ってきた。
欧米のような自己責任論で個々人の生き方を認めるのでなく、陰湿ないじめの現象のように個人を追い詰めていくような風潮を感じる。
自由と民主主義は個人を自由にするのでなく、追い詰めるような変質をして行ってる。
自ら反省する「恥ずかしい」の文化がどこかに消えていってしまったのではないだろうか?

皆さんは「お裾分け」の助け合い、どうおもいますか?

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