言必ず信、行い必ず果

投稿日:2018年1月31日 更新日:

昭和47年に日中国交を開いたとき、
周恩来首相が田中角栄総理大臣に渡した色紙に書いていた言葉だ。
角栄首相は有り難く頂いたが、物議をかもしたのである。

これは論語第十三子路篇にある言葉で、この次に続く言葉がある。
「硜硜然(こうこうぜん)として小人なるかな」
意味=融通の利かないコチコチ頭の小人(凡人)ということ。
実は馬鹿にされているという解釈である。
当時の角栄さんは意味を知らなかったのであろう。

一般的にはまじめな良い人と察するが、
融通が利かない馬鹿正直者という意味だ。

私は実にこの三流の人間が正しいと思い込んでいたので、
随分家族や周りの人を傷つけたことを反省する。

悟りきった老子はどうも好きになれなかったが、
さらに一段上の心境で語る老子がとてもぴったり自分の腑に落ちる。

老子は以下のように語る。
「大人は言必ずしも信ならず、行いは必ずしも果ならず」

意味=優れた人物は言ったことが必ずしも信用できるとは限らず、
   行動もきびきびしない場合もある。

ここからが重要だ。
老子はさらに突っ込んで「義のあるところのままにする」と書いてるのである。

言葉に信がなく、行動に果がなくても良いとなれば、
無軌道にしても良いということになるが違う。
そこには「義」大義、志、良心といった意味だ。
義の道に適っていなければという意味で、人間道に適うということだ。

別のところでも老子は言にたいして、
「信言不美、美言不信」
意味=真実味のある言葉はかざりっけがない。
   飾りっけのある言葉には真実味がない。

学ぶことは個人の体験を法則や事実として経験として残してくれてるから面白い。
自分の体験だけでは困難を乗り越えるのに方法が少ないが、
歴史の史実の中にはいっぱいエキスがある。

正岡子規は「病症六尺」の中で、
悟りとはいつでも死ぬ覚悟ができることと思っていたが、
どんなことがあっても生き抜くことだと断言してる。

皆さんは生きぬく覚悟できてますか?

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