森信三さんは「真理は現実のただ中にあり」と表現される。
人間の本能は自分を守るようにできているから、
自分のとって都合の良いことなら現実を受け入れるのが一般的だ。
問題は自分にとって都合の悪いこと、
簡単に言うと感情的には「嫌いなこと」
理性的に言うと「損すること」の現実は直視したくない。
しかし、肉体的に未熟な、よちよち歩きのときに助けてもらった両親や、
お世話になった友人や精神的に支えていただいた恩師に対して、
「恩返し」するのが人間としての人情だ。
もっと視野を広げると道路や、鉄道を利用する事でいろんな事ができる。
これは特定の人でなく社会という大きな援助があってこそであるから、
社会に「恩返し」するという事になる。
人間は不完全な存在で一人では生きられないのである。
お互いが助け合って相補的に生きているのだ。
ところが、人間は自分を中心に考える相対的なものの見方もできる。
すると、競争することが発展という考えもでてくるのである。
現実の現象から物事を捉えるとそれも致し方ない。
地球の持ってる宇宙の法則は「競争」ではなく「調和」を自動的にするシステムなのだ。
常に調和にベクトルが向いているのである。
人間はこの本質に立ち返れば相補的に調和へ向かい生きる。
それには理性×利己心(保護本能)が課題になる。
この課題をどう自分が受け入れ昇華するかである。
ノーベル文学賞を貰った日本人の「かずお・いしぐろ」は、
「人間はね。ただ嘘つくんじゃないんです。
何か隠しながらつくんです。そして事実を直視しないようにする」
仏教では「善悪無記」物事を損得好き嫌い、善悪を分別しない。
そのまま事実を受け入れることを諭すのである。
良いことが起これば調子に乗らず押えて行動する。
悪いことなら、必死になって知恵を働かして行動し、切り抜ける。
ただそれだけである。
もう一つ諭してるのは「慈悲」だ。利他行だ。
この二つを毎日こつこつやり続けることだ。
そこに光は必ずさすというのである。
白隠禅師の言葉に「直指人心 見性成仏」という言葉があり、
人間でありながら仏となるというのである。
しかし、遺伝子は利己心だから自分に対して徹底して習慣化する必要がある。
事実を直視して楽しく生きたいものだ。
皆さんは事実直視する事どうされてますか?