『修身二十則』
一, 嘘を言うべからず
一, 君の御恩忘れるべからず
一, 父母の御恩忘れるべからず
一, 師の御恩忘れるべからず
一, 人の御恩忘れるべからず
一, 神仏ならびに長者を粗末にすべからず
一, 幼者を侮るべからず
一, 己に心よからず事 他人に求めるべからず
一, 腹をたつるは道にあらず
一, 何事も不幸を喜ぶべからず
一, 力の及ぶ限りは善き方に尽くすべし
一, 他を顧して自分の善ばかりするべからず
一, 食する度に農業の艱難をおもうべし 草木土石にても粗末にすべからず
一, 殊更に着物を飾りあるいはうわべをつくろうものは心濁りあるものと心得べし
一, 礼儀をみだるべからず
一, 何時何人に接するも客人に接するよう心得べし
一, 己の知らざることは何人にてもならうべし
一, 名利のため学問技芸すべからず
一, 人にはすべて能不能あり、いちがいに人を捨て、あるいは笑うべからず
一, 己の善行を誇り人に知らしむべからず すべて我心に努むるべし
これを山岡鉄舟が15歳のときに書いたのだからすごいというべきだ。
自分という人間がどのように自らを修めるかと考えて書いたのだ。
言い換えたら、こうなりたいという人物像をルール化した。
勝海舟が鉄舟を評して「幕末のいまどきの者でこんなこというやつはいないでもないが、
実際におこなう者が誰かいるといえば指は折れないよ」
愚直にこれを守ったというのであるが、
当時は鉄舟のことを叛逆者、独籍者とみんなが言っていたにもかかわらず、平気でいるところは子供ながらすごいとも言ってるのである。
それは第九条の「腹を立つは道にあらず」を実践したのだ。
また人使いでも、第十九条の「人はすべて、能不能があり、いちがいに人を捨て、あるいは笑うべからず」
寛容な精神を宿していたのである。
ルールというだけで自分の自由が縛られると感じるのは本能(利己心)で自分を守ろうとする感覚だ。
これは誰にでもある感覚であるが、これが自我を作り自分に執着する根本で、
執着すればするほど、周りのすべてのもの・事・人が自我の自由を阻害すると考えて苦しくなる。
この不自由から開放し自由でありたいなら、自我にこだわらなく執着しない事だと釈迦は諭す。
幕末時代の生死が隣り合わせの時代の中で育った鉄舟には直観的に感じ取っていたのかもしれない。
剣の修行もまた死の恐怖との戦いでもある。
敵は外にあるのでなく、自分のうちの心を定め、恐怖も持たず敵を侮りもしない心境こそが生きることだと覚悟でき宝こそ無敵だったのだ。
自分に置き換えてこんなルールを作って守ってきたかというと失格だ。
気付いた今からひとつづつ実践するしかない。
やってみなければ解らない。
一歩でも近づけるなら行動する価値はある。
皆さんは自分をどんな人間にしたいでしょうかルール持っておられますか?