「さしあたる ことのみを思え 人はただ
帰らぬ昨日 まだこぬ明日か」
これは名称真田幸村の甥で白隠禅師を育てた長野・飯山の正受老人の言葉で、
意味=人はたださしあたることに集中しろということだ。「今に集中する」
禅では「一大事と申すは、今日只今の心なり」と教える。
具体的には、
今、目の前に嘆き悲しんでる人がいるから一緒に嘆き悲しむ。
今、目の前にお酒が来たから喜んでお酒をいただく。
今、狼がきたからその中でカットして坐禅をする。
地元の飯山の里に狼が現れるようになって、多くの人を負傷させていた。
ある人が狼の子を飼っていたところ、犬にかみ殺された。
それからというものは狼は怒り狂って村の子供を襲うようになった。
村の人たちは門を閉ざし不安に慄いていたとき正受老人がやってきて、
埋葬した狼の子の場所で坐禅を組んだのである。
勿論、狼は坐禅する正受老人の首のあたりに匂いを嗅いでクンクンやってくる、
耳もとに息を吹きかける。
ここが「正念」=今に集中だ。
狼は正十本受老人の心が、少しでも恐ろしいとか嫌だという念を起こしたらがぶりとかむに違いない。
将に正念を失わない、自分を守ろうとか、狼をやっつけようとかという念を起こさないころだ。
将に「無念無想」を具現化することだ。見事「正念」して坐禅されたため、
その後は、狼は村に来なくなったというのである。
「正念相続」ということを正受老人はいうのである。
「すべての人は遠きこと思いて謀ることはあるけれど、的面の今を失う事に心づかず」
一般には遠い先のことばかり考えて、今を生きてないのも事実だろう。
ご飯食べて何か別の事考えてるのが凡人の私だ。
「只今の心」失うなと現代に生きる人に伝えている。
学ぶということは実に素晴しいし楽しい、実際狼の中で座禅ができるようになりたい。
もしか仕事を狼と思えば、何が起こっても現実から逃げないで今に集中し対応する事だ。
できるかな今の自分に。
皆さんは「正念」できていますか?