近江聖人(中江藤樹)

投稿日:2017年7月7日 更新日:

中江藤樹は愛媛県の大洲藩の出身であり,母のために脱藩して近江にやってきた。
晩年王陽明の著書を読み、日本の陽明学の祖となるのである。

彼の弟子に熊沢蕃山、その蕃山に影響を受けた藤田東湖、東湖を師と仰いだのは西郷隆盛である。
このように時代を生き抜く精神は受け継がれてきたのである。
そして、無教会主義を唱えるキリスト教の内村鑑三が世界に日本人を紹介した一人に藤樹がいる。

さて、中江藤樹が十一歳のときに、孔子の「大学」に書かれていた、
「天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的とすべきは生活を正すことにある」
このような本があることに天に感謝し、「聖人たらんとしてなりえないことはない」と固く決意する。

「聖人」になるといえば我々凡人は、最初からなれないと全く普通の人間絵ではないという観念がある。
白川静先生の解説によると「聖人」の聖は耳という文字が記されてるように、
大いなるものの「声」を聞くという意味だそうだ。

たとえ話で言うと「万有引力の法則」はニュートンが発見する前もあったし、後もある。
即ち宇宙の法則を発見したに過ぎない。
大いなるものとはそういうことを発見する眼力を養う事だ。

藤樹は聖人になるには、その前に君子(あらゆる人達を導く指導者)になる。
内村鑑三は言うには、欧米で言えば君子はジェントルマンの事だ。
立派な教養を身につけ、立ち居振る舞いは実に礼儀正しい徳のある人のことだ。

教育は単に生活の糧を得る知識を学ぶ事でなく「真の人間」になることだ。
言い換えると「身、心、霊」と言って、
身=肉体的(五感で感じるもの)
心=精神的(意識)
霊=人間を超越した(私心なく、無意識)大いなるものを見る眼、

この三つを鍛えてきたのが日本の文化だ。
欧米の宗教は神と人間は別のものだ。
ところが日本の宗教観念は「成仏」と言って、
自分の悩みや苦しみは自分で解決できると考える。
「解脱」と言って人間的な価値観を超えることだ。
それを霊と表現してる。

ある逸話がある。
琵琶湖から京都まで馬子が旅人を乗せて宿まで送った。
旅人は100両のお金を馬の背にのせて忘れてしまった。
馬子は行きずりで覚えていなかったが、」
しばらくして、馬子が旅人さんに100両のお金を届けにきた。
そこで旅人は「黙って盗っておいても解らないのに」
「なぜこんな律儀なことをする」と尋ねた。
その馬子は答えて曰く、
「中江藤樹先生に読み書きやいろんな話しを教わっている」
「だから人のものは盗まない」ということだった。

日本の歴史の中にこんな人物がいることを誇らしげに思う。

皆さんは中江藤樹の事ご存知ですか?

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