渋柿が人間

投稿日:2017年7月8日 更新日:

「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」という句があるように、
これは富有柿の甘いのを食べたときに読まれた句に違いないと推察する。

道元禅師は「なぜ人間は仏心があるのに修行がいる」のかを大疑問におもい、
師が床についていたにもかかわらず、比叡山を後に栄西の法を継いだ明全と共に宗(中国)にわたった。

そこで、如浄禅師と出会い、坐禅中に居眠りをしていた雲水に「身心脱落せよ」の一言に開眼し、
修行の意味を悟ったのである。

道元は「生仏一如」と生きることが同時に仏であるというのである。
また、「迷悟一如」迷っている事が悟りなんだというのである。
では「仏」とは、「悟り」とはと考えた時、我々凡人は雲ひとつない真っ青な青空を浮かべる。
カリフォルニアの青い空なら考えられるかもしれないが高温多湿の日本では真っ青な空になるのは少ない。
だからそんな心の上体には誰でもできないと決め付けるのが凡人の我々だ。

「南無の会」を主催されていた故松原泰道さんは「仏」=(純粋な人間性)と表現されている。
将に、真っ青な雲ひとつない空のイメージなんですね。

道元は仏になりたいなら、迷ってる自分がいることが重要だというのである。
今を生きてる自分がいるという現実を肯定することだというのである。
どろどろとした本能、欲望を満たそうとする生身の自分がいる現実を100%受け入れる。

しかし、そのままでいいのではないから坐禅がいる。
言い換えたら仏を引き出そうとおもい坐禅を習慣化する努力がいるのである。
(これを修行という)

喩えて言うなら、柿には本来甘味があるが、
人間は本能的利己心によって渋柿であるということだ。
この渋柿を甘くするには、皮をむいて乾燥させると素晴しい甘味がでてくるのである。

もともと人間にある仏を引き出すにはこの一手間がいる。
このことが仏教の坐禅であり、念仏三昧であり、手段はいろいろあるが努力(修行)がいるのである。

道元は人間が元来本能によって渋柿を生きてることを自覚したのである。
六祖、慧能大観は「人間本来無一物」と裸で素直で純粋な人間であると存在そのものを見抜いた。

皆さんは「仏」を引き出す方法、いかがされてますか?

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